忍者ブログ
きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
〓 Admin 〓
<< 06   2018 / 07   1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31     08 >>
[6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

下弟の小学校生活は、ボコられる毎日だった。

特殊学級クラスメートの太郎君(仮名)に
毎日毎日ボコられていたらしい。
学年が少し上で、体の大きい太郎君に、
下弟は抵抗することができなかった。

ジャージにマジックで落書きされるは(前述のとおり)
ランドセルに靴跡がくっきり(蹴られた)
鼻やおでこに擦り傷(突き飛ばされて倒れた)
毎日がこんな調子。
普通の子なら不登校になってしまっても不思議でないのに
「学校には毎日行くもの」と教えられていた下弟は
毎日ちゃんと学校に行っていた。

母は学校に相談していたようだが
そもそも無理言って入学していたものだから
「ここが嫌なら養護学校に転校してくださいな」
という対応だったようだ。

そんなある日起こった事件。

下弟が頭に大きなたんこぶを作ってきた。
漫画のたんこぶのようにびっくりするほど大きい。
触ると柔らかくぶよぶよしている。
しかも時間の経過につれてどんどん大きくなってきた。

母は下弟を病院に連れて行った。
母の話によると、たんこぶというのは頭の下の皮膚が
内出血を起こしているのだが、内出血がひどく
自然に引っ込む状態ではなかったとのこと。

処置として頭に針を刺して血を抜いてもらったんだそうだ。
血を抜く為の太い針と抜いた血を見て
母の怒りは頂点に達した。

学校で事情を聞いたところ、太郎君が下弟を
机(教壇だったかも)の上に立たせ
胸を押して突き落としたらしい。

それからしばらくして、
太郎君が転校したと聞いた。

太郎君やそのお母さんとどんなやりとりがあったのかは
私は全く知らない。

太郎君にもきょうだいがいたけど・・・。
二人とも今はどうしているんだろうか。
 

拍手[5回]

PR

30代の頃の私は、夫の転勤で地元を離れていた。

地元を離れても、何人かの友人とはメールで近況を
報告しあっていた。それは慣れない土地で暮らす私に
とって、ささやかな楽しみのひとつであった。

あるとき、友人の一人からメールが届いた。

その内容は、友人のお子さんのクラスに
発達障害の子がいること、そしてその子が
近くの席に座っていた友人のお子さんに暴力を
ふるったとのことであった。
幸いケガはなかったようなのだが、ノートや教科書を
鉛筆で刺されてズブズブにされていたようで
友人はそれを見てかなり頭に血が上ってしまったようだった。

後日担任とその子の母親が家まで謝りに来たそうだが
彼女は許せなかったようだ。
どうしてこんな危ない子どもを一般の小学校に通わせ、
普通学級に入れておくのか、こんな子は普通の子ども達と
一緒に過ごさせないでほしいと激しい言葉で書いていた。

さて、どんな返事メールにしたらよいものか、と考えた。

彼女の気持ちはよくわかる。
彼女のお子さんが遭ったことは、私の子ども時代の
日常であったから。

でも、発達障害の子の母親の気持ちもわかる。
それは、普段から目にしていた私の母の日常であったから。

彼女は私の下弟のことは知っている筈だった。
しかし、ただ、知っているだけなんだ、とその時初めて思った。

私の友人は私の結婚式の時に下弟に会っている。
下弟は、ビデオカメラを持たされてずっとビデオを撮っていた。

母がよぉく言い聞かせてビデオカメラを渡したようだ。
ビデオを撮っていれば席を立っても違和感がない。
離れた所から夢中で撮っている姿は
熱心にビデオ撮影をするハンサムな弟君
に見えていたことだろう。

たぶん彼女は下弟とお子さんのクラスメートが
同じ障害を抱えているとは思わなかったのではないか。

私は返事を書いた。

O(友人)ちゃんがとっても腹立たしい気持ちに
なっているのはよくわかるよ。
でも、家まで謝りに来てくれたそのお母さんは
きちんと子どもに向き合っている人だと思う。

私は高校生の頃障害児サークルに参加していたけど
子どもが不憫だからといって躾をせず甘やかし放題の
親や、この子は障害者なんだから何をしても仕方がないと
世間に対して開き直っている親を見てきたの。
だからなんとなくわかる。
そのお母さん、私の母とダブるんだ。
私の母、弟がトラブル起こすと今でも菓子折り持って
頭下げに行っているんだ。

私も謝るから、どうか許してあげてもらえないかな。

すぐに友人から返事のメールが来た。

ごめんね、Murphyちゃん。
私、自分のことばっかり考えてて
Murphyちゃんの弟さんのこと、すっかり頭から抜けてた。
自分が恥ずかしくてなんだか泣けてきちゃった。
発達障害の子どもを排除するようなことがないように
もう一度子どもや担任と話してみるよ。

よかった。私の思いをわかってもらえて。

友人は間違っていない。
誰だって自分の子どもが一番可愛いんだもの。
私だって自分の子が同じ目に遭ったら
彼女と同じように怒るだろう。

それでいいんじゃないかな。








拍手[17回]

明け方に、台所で料理をしている夢を時々見る。

今朝も見た。
台所で一生懸命何かおかずを作っている。

でも、夢に出てくる台所はなぜか
実家の古い台所である。

実家の家族は偏食がひどかった。

母と私は何でも食べるのだが
父と弟たちはひどい偏食だった。
好き嫌いが多いというより、特定のものしか
口にしないと言っていいほどのひどさだった。

困ったことに食べないものが三人三様であった。

父は、肉は駄目、魚はまぐろの刺身とめざしだけ、
洋食、中華、買ってきたお惣菜や冷凍食品は全てNG。

上弟は肉の脂身が駄目、骨のある魚は駄目、
色の濃い野菜は駄目という感じ。

下弟はその時の気分で変わるが
野菜、海藻類が駄目、骨のある魚は駄目。
一時は白ご飯とふりかけしか食べない時期もあったほど。

そんな有様だから、毎日の御飯作りは辛かった。

どんな献立にしても、誰も喜んでくれることはなかった。

味付けが濃いとか薄いとか、またこれかぁ、これだけかぁ
など、文句を言われた記憶しかない。
散々文句を言われた揚句残されるのだ。

美味しかったと言われた記憶は全くない!
助かるわとかありがとうとか、ねぎらってもらった記憶もない。

私は今でも

食べ物にケチをつける奴は大嫌いである。

ちなみに、夫と子ども達は
「美味しい!」と言ってくれる。
「ごちそうさま!」と言ってくれる。

今はご飯作るの辛くないのに

どうして昔の台所で料理している夢を見るのだろう・・・。

拍手[8回]

成人式を迎えた頃のことをもうひとつ。

伯母から「家においで。」と連絡があり。
訪ねて行くと、伯母は私に成人のお祝いをしてくれると言った。

「他の従兄弟たちには内緒ね。」と。

伯母の家にはデパートの外商さんが来ていて
プチジュエリーをいろいろと持ってきてくれていた。

私は誕生石のネックレスを選んだ。

今でもそのネックレス、大事に持っている。

*         *           *

今朝のゲゲゲの女房の中でのセリフだ。

親のように心配してくれる人がいれば、
人はそうそう悪い道には行かない」


そういえばちょっと前に読んだ
ホームレス中学生でも同じ事感じたっけ。
彼を助けたのは親友の親御さんとその周りの人達だった。

そう、それは親である必要はないのだ。


幸いにも私には、
私を心配してくれる大人、気にかけてくれている大人がいた。

当時はあまりそのことに気づいていなかったが、
大人になった今、はっきりとわかる。

拍手[6回]

私は20歳になり、成人式にも出席した。

もちろん、振袖など買ってもらえなかった。
レンタルするお金もなく、大学の入学式の為に買った
スーツで出席した。

グレーの地味なスーツ。

就職活動でも着られるように地味なものを選んだのだ。
ちなみに入社式にもそのスーツで行った。

集合写真には華やかな振袖やドレスの面々の中に
ポツンと地味~な私。
その時はそんなに気にならなかったんだけど。

就職して、ある程度自分が自由に使えるお金をゲットしてからは、

スーツを何着も買った。

友達の結婚式にはレンタルした振袖で出席した。

やっぱり悔しかったのかな。

拍手[2回]

下弟に虫歯が見つかってしまった。

母は下弟を近所の歯医者に連れて行った。
しかし、近所の歯医者には彼を治療することはできなかった。
もう連れてこないでと断られたらしい。

かかりつけの内科の先生にはちゃんと診てもらっていた。
耳鼻科や皮膚科にもかかっていたが、そこでの下弟は
ちょっとした人気者であった。
でも、歯医者だけは駄目だったようだ。

結局、電車で1時間半程かけて専門の小児歯科に通うことに。

私は高圧的な近所の歯医者が嫌いだったので
「私もそこの歯医者さんに行きたいな。」
と言うと

「あんたが通う所じゃないよ。」

と言われたので一度もその歯医者に行く事はなかったが。

無事に虫歯の治療ができた下弟。
どんな先生がどんなふうに治療したのかな、ちょっと気になる。

拍手[3回]

今週は子ども達が中間テスト。

二人とも
「やべえ~~~~~!!!」とか言いながらも
スカパー!で アニメとか見ている。
おいおい、大丈夫か?
でも、ま、いいか。

自分が中高生の頃ってどうだったかなと考えてみた。

夜9時消灯だったので、部屋を真っ暗にして
イヤホンでラジオ聞いて、家族が寝静まるのを待って
スタンドの電気だけつけて勉強してたっけ。

夕方母が下弟連れて療育から帰った時に
夕飯の支度ができてなくて叱られたこともあったっけ。

「勉強してる暇があったら、家の事をやりなさいっ!」
って言われたっけ。

そうまでしてなんでそんなに勉強していたんだろう?

なにかにつけて、いつもいつも
「女の子に学はいらない。」
という母に対抗していたのかな。

拍手[5回]

参加しているランキング
プロフィール
HN:
Murphy
性別:
女性
カウンター
ブログ内検索
カレンダー
06 2018/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
忍者アド
P R
バーコード
Copyright(c) きょうだい児だった自分を振り返ってみる All Rights Reserved.* Powered by NinjaBlog
* photo by 空色地図 * material by egg*station *Template by tsukika
忍者ブログ [PR]