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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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下弟が学校で着ている指定体操服のジャージ、
紺色なのだが、洗濯した時に何か黒い線が見えた。

よく見ると、ももの部分全体に黒いマジックで

ドラえもん

の絵が描いてあるではないか!
洗濯後にもしっかり残っているという事は
油性マジックで描かれたものである。

見るとドラえもんは頭が足の付け根の方向、
足が膝の方を向いて描かれているので
ジャージをはいて座った状態の下弟の
正面から描いたと思われた。
下弟は絵が巧かったのだが、こんなにちゃんと?
逆さまに描けるはずがない。

母は怒り心頭、学校で話を聞いたところ
特殊学級にいるクラスメートにやられた事が判明。

その子は知的には全く遅れがないのだが
聴覚に障害があり特殊学級にいたと聞いている。

人とコミュニケーションがうまくとれず、
常にイライラしていた彼は、そのイライラを
下弟にぶつけたのかもしれない。

この件についてはどのように解決したのか
聞いていないのだが、これはこの先起こるトラブルの
ほんの入り口にすぎなかったようだ。

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小学生になった下弟は、時々行方不明になった。

ちょっとした隙に教室を出て行ってしまうらしい。

彼は普通学級と特殊学級(当時の言い方)とを
行ったり来たりの生活だったので、休み時間のホントに
ちょっとした隙に外へ出て行ってしまった。
その度に母は呼び出されて、探しまわり、連れ戻していたようだ。

この頃私は、家事担当員となっており、下弟が家の外で起こす
問題にはかかわっていなかったので、この辺の事は全て母から
聞いた話になる。

ある日、下弟が夕方になっても家に帰らなかった事があった。
学校に問い合わせると確かに下校した、近所の子ども達に
聞いても確かに家の前まで歩いてきたという。

一体どこへ行ったのか?
近辺を捜し回ったがどこにもいない。
日が暮れてきて、これはもう警察に捜索願を出すかと
いうところに一本の電話。

家から60Km程離れたある都市から。
こちらでお宅のお子さんを保護していますから迎えに来て下さいと。

特急電車の中で切符を持たずに乗っているところを
車掌さんに声をかけられ、パニックを起こしたため
次の駅で降ろされ、保護されたらしい。
ランドセルをしょっていたので、そこから連絡先がわかったようだ。

どうやってその列車に乗ったのかは今現在も謎のままなのだが。

弟を迎えに行って返ってきた母は
無事でよかったという安堵感と共に疲労困憊した様子であったのに

私が下弟に

「大冒険したね!」

とKYな一言を発したため、後で母からひどく怒られた。

20年以上経った未だに
「あの時のあんたの能天気な一言には腰が抜けそうになった。」
と言われる。

拍手[4回]

ネット検索していたら、あるきょうだい児の方のブログを見つけた。

その方はブログのトップページに自閉症のお兄さんが小さい頃の
写真を載せていた。

可愛い子。

写真の感じからして私の下弟と同年代だろう。

自閉くんはたいていの子が賢そうで可愛い。
私の下弟もそれはそれは可愛くて賢そうな子どもであった。
小学校低学年までは、バレンタインデーにはチョコレート、
ラブレターも何度かもらっていた。

自閉症児親の会に参加している自閉くん達も皆、可愛い子ばかりであった。

母から聞いた話だが、親の会に来ているメンバーの子が
養護学校の小学部に通っていた頃のこんなエピソードがある。

その養護学校は地元の国立大学の付属で、
その国立大学は付属小学校~高校まであり
制服は付属も養護も同じであった。

通学の為、バスに乗っていた親子、
上品なご婦人から声をかけられたそう。
「まぁ、懐かしいわ。私もここの卒業生なのよ。
子ども達もみんなそうなのよ。」と。

声をかけられたお母さん、”頼むからこのご婦人がバスを降りるまで
息子よ、ボロ出さないで!”と神に祈ったそうだ。

拍手[4回]

下弟は近所の保育園に通っていた。

入園時には既に自閉症と診断されていたが
母曰く「親戚の議員に頼んで」入園できたらしい。

ところが、小学校となると難しかったらしい。
受入れについて相当いろいろとあったようだ。

養護学校への入学を勧められ、見学に行った母は
帰宅すると一言

「あそこに行かせたらアカン!
駄目だ。下弟クンが駄目になる!」

聞くと、見学に行った養護学校には
ダウン症と単純精薄(今はこんな言い方しないですよね、
漢字変換できなかったし)の子ばっかりだったそうだ。

あの子らと自閉症の子は違う!あの子らと一緒にいたら
駄目だ、絶対地元の学校に入れる!」

と母は言った。

あの頃、自閉症は脳の障害というのはまだ単なる一説扱いで
躾けや周りの対応でなんとかするものという考えが強かったのか。
普通の子らと一緒に生活することで症状が改善するといわれていたようだ。

下弟は地元の小学校へ通うことになった。

私は既に小学校を卒業していたので他人事だったが
上弟は戦慄していたらしい。

そして、保育園で起こしたトラブルとは比べようもない

トラブルと共に学校生活を送ることとなったのだ。

拍手[1回]

15年ぶりに同窓会に行ってきた。
夫の転勤でしばらく地元を離れていたので
本当に久しぶりの同窓会だった。

ただ、地元に戻ってから
誰とも連絡を取っていなかったので
ちょっとドキドキしながらの出席だった。

皆私の事を
「変わってないねぇ。」と言った。

クラスメートの一人は
「いつも明るいMurphyちゃんが、私は羨ましかったのよ。」と
言った。

担任の先生も
「Murphyの明るさにいつも救われてたんだよ。」

と言った。

私って、そんなに明るかったのね♪
何も考えてなかったもんなぁ。あの頃はまだ。

いろんなこと、考え始めると暗くなっちゃうから
無意識に心を守る為に
学校では明るく振舞っていたのかもしれない。

家は大変だったけど、このクラスで過ごした日々は
楽しかったよ。

拍手[1回]

今日は連休最終日。

連休中に出かけた旅行の後片付けが終わり
昼間からのんびりネットしていた。

「きょうだい児」というキーワードでブログ検索すると、
自分自身がきょうだい児のものは少なくて

やはり、障害をもった子どもを育てている方々のブログが
たくさんヒットする。

ちょこちょこ読ませていただいているが、今日見つけた
あるブログはちぃとショックだった。

そのブロガーの方の自閉くん(小学校低学年・男子)はお風呂好きで
気持ちよさからしばしば、風呂場で大きい方をしてしまうらしい。
そしてその後始末を上の子(小学校中学年・女子)がしているという。

でもお姉ちゃんは全く嫌がるわけでなく、
無理やりやらせれているわけでなく、
自発的???にやってくれているわけだからこれはOKですよね?と言っている。

このブロガーの方は、お姉ちゃんのこれからがある意味で楽しみなんだそうだ。
重度知的障害をもった自閉症児の弟のことをこよなく愛し、
ちょっと周りの人とは違うであろう価値観の持ち主な姉だからと。

PCの前で思わず固まった。

本気で言ってんの?

子ども達はこれからどんどん大きくなるのに
ずっとこういうことさせるつもりなんだろうか、この人は。

私の下弟はそういう粗相は少なく、(母から下弟のおむつは
あんたよりずっと早くはずれたのよと100回以上聞いている)

便器にせずにトイレの床にしていた時期があって、
自分が使おうとした時に見つけてしまい、

「しょうがないなぁ~」
と言いながら片づけた事はあるが。

小学生の大便といったら量もかなりあるんじゃないだろうか。
それを片づけるこれまた小学生の姉・・・。

驚いたことに、コメントは全てブロガーさんと同意見。
そうなんですよね~、助かりますよね~って・・・。

本気で言ってるの?

私もこのお姉ちゃんと同じだったよ。
嫌な顔などひとつもせず、下弟の世話を焼いたよ。

ただお母さんを喜ばせたくて。振り向いて欲しくて。
それで家庭がうまく回るならって頑張った。
でもね、だんだんそれが当然という風になってきて
私は疲れてしまったのだ。

ブログの投稿日を見たら、一昨年の記事だったので
お姉ちゃんは高学年になっている。

どうしているんだろうか。

でも、もうそのブログを読む気にはなれない。

拍手[18回]

家庭科の授業で自身のライフプランシートを作成する課題があった。

ライフプランシートとは生命保険の勧誘時に見せられる
200X年に何歳で結婚、200X年第1子誕生とか書いてあるアレである。

いろいろ考えたが、当時の自分にはどうしても、
どうしても全く将来が見えなかった。

あの頃の私の家は、ほぼ壊れていた。

機能不全家族という言葉は後になって知ったのだが
まさに機能不全に陥っていた。

下弟は地元の小学校に通い
毎日のようにトラブルを起こして
母はその後始末に追われていた。
週末は療育や親の会に出かけ、母が家にいる時間は
とても少なかった。

父は仕事で忙しく、母に協力的ではなく
不機嫌という態度で母に対抗していた。

上弟は登下校時の下弟の世話、学校内で起こす
トラブルにも巻き込まれ、同級生からからかわれる日々、
それに対して対処しない親に不満を持っていただろう。
反抗期も始まり家族の誰とも口をきかなくなっていた。

私は、部活をやめさせられ、毎日家事をし、
母のストレス解消のサンドバックに
なっていた。

毎日一生懸命ご飯作っても
誰も美味しいとも言ってくれない。

誰もが口を開けば、文句や愚痴ばかり。

皆がいつも不機嫌。

こんな生活がずっと続くのかな・・・。

そう思っていた。

課題のライフプランシートだが
結局何も考えられず、

「19XX年高校卒業、19XX年、20歳 交通事故で死亡」

と書いて提出してしまった。

怖い先生だったので怒られるかと思ったが
何も言われなかった。

成績は普通だった。


結婚し、子どもまで持てる生活など予想できなかった。

あの頃の私に会えたら、肩をたたいて励ましてあげたい。

大丈夫だよ、幸せになれるんだよ・・・って。

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