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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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よくROMしている掲示板で
GWなのに体調を崩してしまったお子さんがいて
腹が立って仕方がないというスレッドが立っていた。

子どもがかわいそう、とか
お母さんが疲れているのでは?などたくさんのレスが
ついているのに加え
私も子どもの頃同じ目にあいましたというレスもいくつかあった。

私もひとつ思い出したことが。

小学生の頃の私は、病弱であった。
ちびまる子ちゃんに出てくる山根クンのように
胃腸が弱かった。

ある朝起きると胃がキリキリ痛んだ。
朝食なんてとても入らないと思ったのだが

母は
「食べなさい!!」
と言った。

無理に口に入れたが
すぐに吐いてしまった。

母は正露丸を持ってきて
手のひらに一杯ぱらぱらと出した。
たぶん20粒くらいあったんじゃないだろうか。

「ばあちゃん(母の母)は胃痙攣を起こすと
いつも正露丸をたくさん飲んでいたのよ。
絶対治るからのんでごらん。」

一粒でさえ臭い正露丸。(糖衣ではないノーマルなタイプであった)

必死で飲み込んだ。

しかし、当然と言えば当然だが、5分後には全部吐いた。
トイレに間に合わず、布団の上にゲロってしまった。

臭かった・・・。叱られた。

胃が痛い時に正露丸大量飲みしてる人って、
祖母の他に誰かいるんだろうか?

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一人暮らしを始めてすっかり情緒不安定になってしまった私。

自分はどうして生きているんだろう?

生きていて何の意味があるんだろう?

この先楽しい事なんて何もないんじゃないか?

消えてしまいたい・・・。

でも死ぬ勇気なんかない。

車に跳ね飛ばされたらいいのに
なんて思いながら暗い夜道をフラフラ歩いたこともあった。

そんな私にある人が勧めてくれた本が

加藤諦三著:自分を嫌うな

だった。

この本を皮切りに、加藤さんの本を何冊か読んでみた。

そして、自分のこの不安定さが、これまでの親子関係・家族関係から
来ているものだということが見えてきた。
自分の置かれている状態を客観的に見ることができ、
少しずつ心の平静を得ることができるようになったのだ。

この本を勧めてくれた人には私の生い立ちや
家族構成を話した事は一切なかったのだが。
何かを感じたのだろうか。

それよりも、その人が「自分を嫌うな」なんてタイトルの本を
読んでいた事自体に驚いた。
彼は、明るくて人気者で、才能があり、
私から見たらキラキラと光のあたる道をまっすぐ歩いているように
見えていたからだ。
周りの人にはわからない何かがあったのかもしれない。

同時に学者として成功している加藤先生が
家族親子関係で苦労していたこと、それを乗り越えて
今があること、それが私に一筋の希望を与えてくれたのだ。

拍手[3回]

このブログを書き始めて
忘れていた色々な事を思い出す。

時にはもやもやしたり、胸が苦しくなってくるが
始めたからにはアウトプットしていかないと
もやもやは滞ったまま私の心に澱を作って
しまうようで、怖いのである。

さて、私が小学生、下弟が保育園に入るか入らないかの頃
しばらくの間下弟と添い寝をするように言われたことがあった。

その前後の経過は全く記憶がなく

ただ、
下弟がおちんちんを触り始めたらやめさせるようにと
言われた事だけは覚えている。

初潮もまだきておらず、性のせも知らない子どもだった私は
ふぅ~ん、そうなのとしか思っていなかった。

下弟はまだ本当に小さく、自慰行為というよりも
睡眠儀式で毛布やタオルを触ったり、指しゃぶりをするように
おちんちんを触っていたのではないかと今は思うのだが、
その他の事は何も思い出せない。

私は下弟の横に寝て、彼が眠るまで手を押さえていた。

この生活は、ほんのしばらくのことで、すぐに私は解放され
一人で眠りにつけることになったのだが、

もうひとつ、うっすらと覚えていることが。

夜中に私が「ぎゃぁ~~~っ!」と叫んでいるのである。
前後の事は何も覚えていない。
ただ、夜中に叫んでいることだけ、うっすらと覚えているのである。

私には夜驚症の気があって

結婚・出産してからはほとんどなくなったが

悪い夢を見て夜中に大声を出すことが時々あり
横で寝ている夫をびっくりさせた事が何度かある。

去年やっていた「銭ゲバ」というドラマで
松山ケンイチ君が演じていた主人公、
あんな感じ。

なぜ、下弟のこととセットで思い出すのか
どうしても思い出せない。

暗い夜の闇の向こうに、うっすらと浮かぶ記憶。

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実家と距離を置いて
落ち着いた生活が送れる筈なのに

私はひどい情緒不安定になってしまった。

そして、ちょっとしたことに対して激昂したり
泣いたり喚いたり、お酒飲んで酩酊したり
ひどく荒んでいた。

自分以外の人達の周りには、幸せが満ち溢れていて
私だけが不幸なんだって思っていた。

周りにいた人達はさぞかし迷惑していただろうと思う。

あの頃の自分を思い出すと本当に恥ずかしい。
穴があったら入りたい気分。

そんな私に、優しく接してくれる人は、いた。

学生寮の先輩、科の先輩、クラスの友達、
お世話になったバイト先の人達・・・。

時には優しく寄り添ってくれ、時には厳しい言葉で
励ましてくれた人達。

本当にありがとう。感謝しています。

拍手[3回]

大学に受かってから実家での生活はますます辛いものになってきた。

バイトをしたら家事ができない、でもバイトしないとお金がない。
何かにつけ「大学なんぞ辞めてしまえ!」という母の暴言に耐えられなくなっていた。

このまま家にいたら卒業できない、中退することになると思った。
いろいろ調べて、大学の学生寮に入ろうと決めた。

本来は県外在住者でないと入れないのだが、
当時は学校の周りにある下宿やアパートに入る学生が多く
部屋に空きがあること、同じ科の子が隣町に実家があるのに
学生寮に住んでいることを知り、それでは私も!と申し込んでみたら
入れることになったのだ。

両親は激怒したが、もう決めた事だからと押し切った。

引越しは父が手伝ってくれた。
引越しと言っても、布団と着替え、本などを父の車のトランクに積んで
運んだんだが。

父が
「お母さんには内緒だぞ」と言って
聖徳太子を何枚かくれた。

父はサービス業で、お客さんから頂いたチップを
へそくりしていたみたいで、それを私に少し分けてくれたようだ。

学生寮はリノリウム張りの床に置き畳が2枚、
ベッドに机、作りつけの棚とクローゼットがあり
キッチンとトイレ、洗濯機は階ごとに共用、
風呂は寮全体で使う銭湯のように大きなお風呂だった。
ここに光熱費込みで月々7千円程で住める。
洗濯も掃除も食事も自分の分だけでいい。
暴れる下弟やイライラしている母に気を使うこともない。
私にとっては天国に違いない。

それなのに、たまらなく不安な気持ちになって
ちょっと泣けてきてしまったのを覚えている。

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なんとか大学に入学できたが、この先授業料その他諸々お金が要る。

日本育英会で無利子の奨学金に申し込むことにした。
普通のサラリーマン家庭なら大丈夫と言われ申し込んだが
心配だった。

お金がない、といってもそれはあくまで
「私の為に使う」お金がないのである。

なぜなら、上弟は私学の進学コースに通い
家庭教師までいたからだ。

上弟は特に成績不振という訳ではなかったようだが
公立の進学校に進むには内申が少し足りなかったらしい。

母は、上弟が私が通っていた高校より下のレベルの公立に
入るのは我慢ならなかったのか、中堅私学の特別進学コースに
進ませたのだ。

奨学金を受けられるか心配だったが
申請が通り、月々2万円ほどの奨学金が受けられることになった。

授業料はこれでなんとかなるが(当時の国立大学の授業料は
半期で12万程であった)、教材や定期を買うお金がいる。

アルバイトを探さなければ!
なんとしても卒業してやると思っていた。


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今日は娘とその友達を車に乗せて出かけた。

彼女らが観たい映画が近くの映画館では上映されないので
少し離れたところの映画館に連れて行ったのだ。

娘達が映画を見ている間、私は書店で本を買い
喫茶店でコーヒー飲みながらそれを読んで過ごした。

帰り道に車を運転しながらふと思った。

私ってこういう事無かったな。

私が中学生だった頃、母が私の為に自分の時間を割いて
どこかへ連れて行ってくれたことって、
なかった。

日曜日の母は大抵朝から下弟を連れて
障害児サークルや親の会に参加していた。

私は家にいて掃除や洗濯など家の用事などしながら
留守番するのが日曜日の過ごし方だった。

ある時、日曜日に友達と映画を見に行ったことがあった。
当時大流行のアニメ映画を見て、お昼をマクドナルドで食べ
それはそれは楽しい時間を過ごした。

家に帰ると母が先に家に帰っていた。

「勝手に出かけて!」

と私はひどく叱られた。

母は、私が楽しい思いをするのを憎んでいるとしか
当時の私には思えなかった。

今になれば、下弟がとても大変だった時期で
心に余裕がなかったんだとわかるのだが、

あの時は、そんなことはわからず

「どうして・・・?」

と悲しい思いでいっぱいだった。

自分の子ども達には
あの頃の私の分まで楽しい休日を過ごして欲しいと思う。

 

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