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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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スーパーのレジに並んでいると隣のレジに
年配のご夫婦と私と同じくらいの中年女性が順番を待っていた。

女性は知的障害のある方らしく、レジの横にある雑誌を取って
カゴに入れようとするのを母親らしきご婦人に止められて
あぁん、あぁ~んと駄々をこねていた。
ご婦人が雑誌を棚に戻すと女性はあぁん、あぁんと言いながら
腕を回し始めた。
カゴを持って並んでいたご主人がさっと女性の所へ行き
肩を抱いて静かに言い聞かせながら移動して行った。
その間にご婦人がレジで支払いを済ませ、何事もなかったかのように
帰って行った。

素晴らしい連携だ。


小学校高学年だった私は、あれを一人でやっていたんだ。
もちろんあのご夫婦のような対応はとれていなかった。
弟の駄々はあんな可愛いものではなかったし。
店中響き渡ってるのではというほどの声量で
ギャーッと叫び床の上でのたうちまわっていた姿を
今でもはっきりと思い出せる。

父はスーパーに買い物に行くような人ではなかった。
あのご夫婦のように一緒に買い物に行った事などなかったと思う。

母は買い物に行くにも何をしでかすかわからない弟を
家に置いて行くわけにはいかなかったのだろう。
そして買い物の度に大変な思いをしていたに違いない。
その大変な思いを自分一人で背負うのに耐えられなかったのか
私にもしばしば弟を連れて買い物に行くよう命じた。
おつかいが目的なら私一人で行かせれば速やかに済ませられるのだから。
もしくは、母と私二人で弟を連れて行けば、先のご夫婦のような連携プレーだって
できたであろうに。

なぜ、私が、ひとりで弟を連れておつかいに行かなければいけなかったのか。

拍手[6回]

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もう一人のきょうだい児、とは上の弟のことだ。

上弟は母から溺愛されていたと私は思っていた。

小学生の頃、私は小遣いをもらっていなかったが
上弟は毎月少年雑誌を買ったりプラモデルを買ったりと
自分で自由に使えるお金を持っていたようだ。


中学・高校生の頃、学校に持って行く弁当を、
母は私には作ってくれなかったが弟達には作ってやっていた。

母は男の子が好きで、女の私のことを嫌っているのだと
思っていたのだ。

出産して少しの間実家にいた頃
両親がいない時に少し弟と話したことがある。

弟自身は、自分がかわいがられていたなんて
ほんの少しも思っていなかったのであった。

上弟は自閉症の弟が母のゴリ押しで校区の小学校に
入学したその日から、それは大変な思いをしたのであった。
そのことに対し、母は何のフォローもしてくれなかったのだと。

母は今でいうモンスターペアレントに近い状態で
先生方の不満や怒りが上の弟に向けられることもあったらしい。
上弟は通学団のメンバーやクラスメートだけでなく、
先生にまで虐められていたのだ。

下の弟が2年生に上がる時に、上弟は意を決して
母に助けを求めたらしいのだが

「そんなに嫌ならあんたが転校すれば?」

と言われただけであったらしい。
転校すれば?と言われてもまだ小学生の彼に
一体何ができただろう。

贔屓され可愛がられていたと思い込んでいた私は
随分と上弟に意地悪なことを言った。
あんたばっかり、ずるいって本気で思っていた。

違ったんだ。





拍手[11回]

記憶というものは年を経ていくにつれて美化されたり修正されたりする事はわかっている。
わかってはいるのだが・・・。

先日久しぶりに母と話していて驚いた。
もちろん態度にはおくびにも出さなかったが。

母は上の弟が引きこもってしまった過程について、自分は全く関わっておらず
全て父と私が母のあずかり知らぬところで上弟のことを追いつめ、その結果
彼は精神を病み引きこもることになったのだと思っているのだ。


母は昔の様に激昂して私を責めるような言い方はしなかったが
母の記憶は私の記憶とは全く違うものになっていた。

要するに全部父と私のせいなのだ。

母は自分や弟は、父と私の勝手と我儘に振り回され人生を狂わされた被害者だと
本気で思っているようである。

母方の親戚が私を説教する訳がよくわかった。

全部私のせいなのだ。

全て私が悪いのだ。

今更言い訳も言い逃れもする気はない。
そんなことしても虚しいし、疲れるだけだ。


 

拍手[8回]

父が亡くなった頃のこと。

実家の宗派では、葬儀の後49日まで
一週間毎に家に集まり、お経をあげることに
なっていた。(七日経というらしい)

毎週夕方、両親の親族が集まってお経を
あげていた。
遠方に住むおじおば達は来られないものの
きょうだいの多い両親のおじおば(叔父叔母
伯父伯母両方なのでひらがなにしてみた)
私の家族、実家の家族3人を足すと総勢
20人近くの集まりになる。

夕飯時にかかるので
毎回軽い食事を用意していた。
はじめから作るのは大変なので
お寿司を買ってきたり、おむすびを
用意したりしておじおば達を迎えていた。

何回目の集まりだったかは忘れたが
夕方夫から電話が入った。
急に取引先にに出かけることになった、
お経の時間には間に合いそうもないが、
終わり次第駆けつけるので、よろしく伝えてくれとのこと。

母に伝えると、あらそうなの大変ね~と言って
彼の分にと一人前の寿司折を用意してくれた。

お経を唱えた後、軽い食事会の終わり間際になって
夫が到着した。

私は母が用意してくれた寿司折をお茶と一緒に
夫に出した。
夫がありがとうと言って食べ始めると
おばの一人が寄って来た。

なんか嫌な予感。

というのもこの人、チェックが厳しくて
通夜から葬儀告別式の間、私は何度も
Murphyは気が利かない、お茶を出すタイミングが
悪い、あなたがしっかりしなくてどうするの等々
ダメ出しを食らいまくっていたからだ。

案の定、おばは夫に向かって
来て早々、どっかと座って自分用の寿司を
食べているとは何事かと言ったのだ。

これからこの家を守っていく立場にあるというのに
甘えている!と。
隣に座っていた子供達にまで
聞いてる?ちゃんと聞きなさい、と。

説教の内容は、


あんた達がしっかりしないでどうする!

先々ここの家族の面倒を見るのだから!

甘えているんじゃない!


ということだった。

この家の長男様である上弟の立場は?

少し離れた所に座っていた上弟は苦笑していた。

私は腸が煮える思いで、よほど言い返したかったのだが
夫や子供たちが大人しく聞いているので
なんとか堪えたのだった。

一人前の寿司を用意してくれたのは母の厚意だったのに。
仕事で遅くなった娘婿に皆が食べ散らかした後のお寿司を
食べさせるのは・・・と思って用意してくれたのに。

その場に母が居合わせていなくてよかった。

拍手[13回]

風邪をひいてしまい近所の内科医院に行った。
この季節、予想通り激混み。

今日は待ち時間長くなりそうだと思い
この医院の待合室にある
「光とともに」の単行本を読みながら待つことにした。
普段から読んでみようかなと思いながら手に取ったことが
なかったのだ。

そこにあった中で最新刊の15巻を読んでみた。

*           *            *

他の巻ではどうなのか知らないが
父方の祖母が健常児の妹ばかり贔屓する
ヤな感じの人として描かれていた。

ほとんどの読者はこの祖母を
嫌なヤツって思うのかな。

私は違う。

健常児の妹にとって
このおばあちゃんの存在は宝だ。

妹にとっておばあちゃんは
自分を気にかけ無条件に可愛がってくれる
本当に本当に大切な存在だ。
きょうだい児が育っていく過程でどうしても
足りなくなりがちな
「大人からの愛情」を
このおばあちゃんは見事にフォローしてくれているのだ。

いいおばあちゃんじゃないの!

ウチなんかはきょうだいまとめてハブにされてましたから。

http://wish.yotsumeyui.com/Entry/51/

きょうだい児は、親にとってヘルパーとして見られがち。
意識的、無意識的にかかわらず。
もう一人の子どもではなく親と並んだ位置に
立たされてしまいがちだ。

そんな中、自分をひとりの子どもとして扱ってくれる
大人がいれば、きょうだい児が心身共に健やかに
育っていく大きな助けとなるのではないだろうか。

おばあちゃん、これからもずっと花音ちゃんのこと
可愛がってあげてください・・・と心の中でつぶやいた。



拍手[14回]

放映されてから随分日が経ってしまったが
私が感じたことを書いておこうと思う。


映画「ちづる」について、きょうだいの方が

「何も感じなかった。」

と おっしゃっていて
それを監督が納得されていたことにとても共感した。

きょうだいの方はお姉さんが自閉症だ。
たぶん
余所の家のホームビデオを延々と見ている感じ
ではなかったかしらと思うのだ。

私はちづるの予告編を見た時
これを、家族に自閉症者のいない人が見たら
面白かったり、興味を感じたり、
驚いたり感動したりするのだろうかって
ぼんやり考えていた。
私も何も感じなかったんだ。

病児きょうだい児の方はきょうだいが亡くなってしまえば
それで一旦終了なのかと漠然と思っていたのだが
そうではないことを知った。

病気のきょうだいが亡くなった後に、母親から
「あんたが死ねばよかったんだ」と言われた方のメールが
紹介されていた。
なんてことだ・・・。言葉が出ないよ、もう。

責められているようで辛いという親側の意見も紹介され
きょうだい達の悲しそうな表情がいたたまれなかった。

きょうだい達は誰も親のことを責めてなんかいないのに。

きょうだい達はただ

ずっとずっと

辛かったり 悲しかったり 痛かったり 悔しかったりして

そんな気持ちを誰にも言えず

我慢して我慢して我慢して

そうやってなんとか大人になって

でも、今もやっぱり

辛かったり 悲しかったり 痛かったり 悔しかったりして

ただただ

自分も障害や病気のきょうだいと同じ様に

親から愛されたい

愛されたい

それだけだと思うのに。




拍手[33回]

受験の季節になると思い出す。

私に対する母の言動。

高校受験の時。

併願で受験した私立校は合格発表から1週間以内に
入学金の前金(2万円程)を入金することになっていた。
残りは公立高校の合格発表の2日後までに入金すればよかった。

私立の合格が決まったと報告した時、母は

「前金など払わないからね!
金をどぶに捨てるようなものだから!」

と言った。そして、

「公立落ちたらあんたは中卒だよ!」

と言って笑った。

公立高校に合格した時は忌々しげにこう言った。


「うちにはあんたの為に使うお金なんかないんだけどね!」


大学受験の時。

「あんたなんかが行けるわけがない!」

「きっと落ちるよ。」

「(目指している学科を)向いてないし、能力もないのに!」

「もうやめたら?」

必死で勉強している私に向かって、毎日呪いのように言い続けていた。

第一希望校に合格した私に


「金なんか一銭も出さないからね!」

と言い放った。

*              *              *

上の子が受験の時、こんなことがあったと思い出して
(不思議なことにすっかり忘れていたのだ。私は。)
愕然とした。

どうしたらそんなことが言えるのか。

母は


そんなに私が憎かったのか。

憎んでいないとしてもなぜ、こんな酷い事が言えたのか。

そうまで言わせるほど、当時の母は心を病んでいたのだろうか。








 

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