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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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結婚して1年が経った頃、私は妊娠した。

実家の近くに寄った時に
母に報告した。

「赤ちゃんができたよ。」

母の第一声は

「面倒みないからね。」

だった。

別に面倒見てもらおうなんて思っていなかったのに
どうしてそんな言い方するんだろうと悲しくなった。
私が勝手に母が喜んでくれると思っていただけなのか。

次の日、家で休んでいると母が訪ねてきた。
両手にスーパーのビニール袋を提げている。

「つわりはあるの?ご飯は食べられてる?」

ビニール袋の中にはみかんやクラッカー
タッパーに入ったお惣菜、小さな白いおむすびが
たくさん入っていた。

「私が暖かいご飯が駄目だったからね。
少しづつ食べられる時に食べたらいいのよ。
おかずはH君(夫)に出してあげたらいいわ。」

少しばかり世間話をしたのち、母は

「大事にするのよ。」

と言って帰って行った。

母が作ったおむすびを食べるのは何年振りだろう。

程良い塩味の小さなおむすび、とても美味しかった。

ありがとう、お母さん。
赤ちゃんができたこと、喜んでくれていたんだね。

私は、反射的に面倒は見ないと言ってしまった母の
今までの子育ての日々、これからもずっと続いて行くであろう
下弟との日々を思って、ちょっと切ない気持になった。

 

拍手[11回]

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結婚してからも私は実家と同じエリアに住んでいる。

さすがにスープは冷めてしまう距離だが、車で10分も
走れば着いてしまう。

引越しをして少し落ち着い頃
母から連絡があった。
次の土曜日の夕飯を一緒に食べないか?
ただし、自分は出かけていていないので
父と弟達を呼んで、夫と5人で食べてくれと言うのだ。
私は実家の家族をまだ一度も呼んでいなかったので
新居に招待するつもりで快諾した。

偏食の多い彼らが食べられそうな献立を考え
ちょっと張りきって準備した。

さて当日。

約束の時間になっても一向に父と弟達は来ない。
途中で事故にでもあったのかと心配になって来た。
実家に電話してみる。
呼び出し音がなる。ツー、ツー、ツー・・・
10回ほど鳴らした頃、カチャッと受話器を取る音が聞こえた。

「もしもし?Murphyだけど。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「もしもし?」

「・・・・ウッ、ウッ、ウッ・・・・」

上弟が嗚咽しているようだ。

何があったんだろう?

私は夫にちょっと実家に行ってくるわと告げた。
夫は一緒に行こうか?と聞いてくれたが
一人で行くことにした。

実家に着くと、茶の間で父がムッとした顔で座っていた。

「どうしたの?何やってるの?心配したよ?」と言うと

父はムッとした顔のまま言った。

「おまえなぁ、こういうこと一度やっちゃうとな、
これからお母さんは何度でも言ってくるぞ。
下手すると毎週末実家の夕飯を作るはめになる。
お前はお父さんたちを食事に招待するだけの
つもりかもしれないが、招待するなら家族全員でないと
おかしいだろ?お前は結婚して別の世帯を持ったんだ
から、けじめをつけないと。」

母は父に、土曜日はMurphyの家で
夕飯食べてね、と言って出かけたらしい。

私は新居に招待したつもりだったのだが
実家ではそのように受け止められていなかったのか。

「わかった。帰るね。」

私はアパートに戻った。

夫は何も聞かなかった。
「ビール、飲むか?」と言って
私のグラスにビールを注いでくれた。

*       *        *

あれから20年近くの月日が流れたが
ただの一度も、実家の家族を食事に招いたことがない。




 

拍手[8回]

下の弟が就職した頃は、上の弟が実家に戻って
ひきこもってしまった頃と重なっている。

下の弟はそれまで上の弟に暴力を振るったことがなかったが
仕事でのイライラを上の弟にぶつけるようになった。

私はそれを止めることもできず、ただその場に居合わせないよう
帰宅するとさっさと自室にこもる生活だった。

当時の上弟の行動は殴られても仕方がないと思っていた。

彼は、私が疲れて仕事から帰って来ると
自室からふらっと出てくるのだ。
玄関で靴を脱いでいる間、じっと立ってこっちを見ている。
顔は下を向いてうなだれているのだが、目だけは上目づかいで
じっと見ているのである。
靴を脱いで廊下にあがると、はぁと深いため息をついて
自室に戻っていくのだ。
私は「あんた何様だ!」と後ろ姿に飛び蹴りを食らわしたい気持ちを
ぐっと抑えていたのだ。

下の弟の前で同じ事をしていたら、そりゃ殴られるだろうねと思っていた。

私は殴られたことがなかったのだが
その日はタイミングが悪かったのかもしれない。

帰宅して玄関のドアを開けると下弟がいた。
「おまえなんかクビだ~!」と叫んで
ガァーンとぶん殴ってきた。

漫画やアニメで頭を打ったりすると、目から星が飛び出て
頭の周りを小鳥と一緒にクルクル回っている描写があるが
あれはかなりリアルな描写だと思う。
本当にそんな感じだった。

星と小鳥が飛び去ると
私も同じレベルの人間になってしまった。

玄関の箒を持って思い切り殴り返したのである。
「痛いわ、このバカヤロウ!」
と喚きながら箒を振り回して暴れた。

私が下弟に殴られたのはその時一度きりである。

*      *        *

あとでわかったことだが、私に手を上げることをやめた下弟は
母に手をあげるようになり
母は会社を辞めさせようと思ったようだ。

 

拍手[5回]

養護学校の高等部を卒業した下弟は、
同級生の大半が作業所や施設に入った中
一般企業の障害者枠で就職が決まった。

母は大変喜んでいた。
これまでいろいろと大変な思いをしてきていたので
さぞかしホッとしたことであろう。

しかし、養護学校で守られていた彼が世間に入って
いくことは容易ではなかったようだ。

彼が入ったのは地方の一企業。(会社名で検索したら
ヒットした。確かに彼が働いていた会社だった)

彼が配属された部署には、天敵のようなAさん(仮名)
という人(パートのおばさんと思われる)がいた。
自閉症という障害に対して全く理解がなく、下弟に
酷い扱いをしていた事は容易に想像できた。
帰宅後、しばしば彼はAさんの口真似をしながら
パニックを起こしていたからである。

「Aが言った。お前なんかもう来るな。」

「Aが言った。お前なんかもうクビだ。」

「Aが言った。明日から来なくていい。」

こんな感じのことを叫びながら暴れていた。

会社でもしばしばパニックを起こし
(Aさんに手をあげたこともあったらしい)
母はしばしば菓子折を持って
会社に頭を下げに行っていたようだ。

私は全く関わっていなかったので本当のところは
分からないが、そのAという人は、弟が騒ぎを
起こすたび母親が菓子折を持って謝りにくるので
人に頭を下げられることに快感を覚えて
わざと騒ぎにしているのではないかとさえ思えた。

「もうやめさせた方がいいかもしれない。」
母は会社を退職させることに決めたようだった。

ところが、会社の方がAさんを弟と全く接触のない
部署に異動させてくれたらしい。

もともと言われたことはきっちりできる弟だ。
会社は彼を残すことを選んでくれたのだろう、その時は。

拍手[2回]

夫は私が勤めていた職場の同僚の友人だった。

あるきっかけで私の事を知った夫は、
同僚に紹介してくれと頼んだそうだ。

同僚は

「あんな女、やめておけ!」

と言って私を紹介しなかったらしい。
結婚した後で聞いた話である。

まぁ当然かなと思う。
あの頃の私、家庭の問題で心身ともに疲弊しきっており
お肌も心も荒んでいましたのでね。
目つきも悪かっただろうし、周囲にも黒いオーラを
出しまくっていたに違いない。
誰だって、そんな奴を大事な友人に紹介しようなんて
思わないだろう。

同僚は私の家族について何も知らなかったので
私が障害者のきょうだいであるからやめておけと
言ったのではない。
あくまでも、私個人に対して、友人に紹介などできないと
思ったようである。

しかし運命とは不思議なもので
それから半年ほど過ぎた頃
夫と私は付き合うことになったのだ。


 

拍手[5回]

最近職場にいる若い子が婚約した。とても幸せそう。

自分のことを振り返ってみると、
よく結婚できたものだとつくづく思う。
本当にキセキだったんじゃないか。

*        *        *

私が就職した頃から、母は私の結婚相手について
いろいろと画策していたようだ。
方々で年頃の娘がいると言っていたようだが
母曰く、必ず断られると言うのだ。

「あんたが大学なんか出ているせいで見合いの
相手が見つからないのよ!」

このセリフを何十回、いや何百回聞かされただろうか。

そんなわけないじゃん。

大学を出た同級生、見合い結婚している子がたくさんいた。
昭和から平成に入った頃、周りの大人が見合いを設定して
結婚するってこと、結構多かったのだ。

私の学歴は見合いを断るグッドエクスキューズだったんだろう。

だいたい、知的障害者のきょうだい&引きこもりニートのきょう
だいがいる女性と、自分の息子を見合いさせてまで結婚させよ
うという人間がいるだろうか。

国立大学を出ているような女性とうちの息子はつりあいませんと
言って断るのが相手にとっては最も角の立たないやり方に
違いない。

母はそんなこと露ほども思っていなかったようだ。
全部私のせいにして、私を責めた。

その頃の私、結婚などとても考えられなかった。

自分は愛される価値などない人間だと思っていたし
人を愛する価値もないと思っていたのだ。



拍手[8回]

胃カメラの結果が出た。
良性で特に問題なしだということだった。
ホッとした。
家に帰り子供たちに報告すると
息子が「ああ良かった!」と飛びついてきた。
ヨカッタヨカッタと抱き合って喜んだ。

心配してくれていたんだと嬉しかった。
そこで、ふと思ったこと。


wish.yotsumeyui.com/Entry/62/

↑の記事で母が上弟のことを
自分より体が大きくなった子を抱きしめるなんて
キモチワルイと言った時、独身で子のいなかった私は
心の中で

「そりゃそうだろうね。」

と思っていた。

でも、自分が当時の母と同じ年齢になった今
あの時の母の発言に違和感を覚えている。

私は、絶対、年はまだティーンエイジだが背丈は私より20cm
大きくなった息子を抱きしめられる。


チューしてやれって言われたらチューだってできるぞ!

病院の先生が抱きしめてやって欲しいと言ったのは
言葉通り抱きしめるというより、気持ちの面で寄り添ってやって
欲しいと言っていたのではないだろうか。
それを「キモチワルイ」と言ってしまった母の気持ち。

やっぱりわからない。

拍手[8回]

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