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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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きょうだい児でブログを検索していたら見つけたある記事。
d.hatena.ne.jp/satomies/20100909/p1#c

「ちぃちゃんにはいろいろ配慮が必要だ。それを見て育っているアンタは『同じように』してもらえると当然思うと思う。わたしもそう思う。でもそれを周囲は『甘い』と言う」。「もう人にどう言われようがかまうもんか、とわたしは思う。ただアンタ自身も『ウチのかーちゃんは甘い』と思っててくれ。うちじゃ『普通のこと』でも、『ヨソんち』では甘いだろ?って思われる基準で動いてることがあることは自覚しておいてくれ。それでもってその『甘さ』がヤバいと思った時に、アンタがわたしに『甘さ』を断れ。人が決めることじゃない、わたしもアンタもそれぞれ自分で決めよう」。

ああ、私が欲しかったのは、こういうことだ、って思った。
胸の奥がキュウッとした。

きょうだい児だった方がコメントをされていて
それを読んでまた共感。
そう、そう、そうなんだ!って。
私もコメントを書いた。

そして、コメントのお返事を読んで
また胸がキュウ~ッとなってしまった。
なんていうか・・・
寒くてガタガタ震えているところに
柔らかくて温かい毛布をふわっと掛けてもらったような感じ。

コメントに貼って下さっていたリンク先の記事
d.hatena.ne.jp/satomies/20070128/p1も読ませて頂いた。

ハッとした。目が覚める思いがした。

母が私に期待したように、私も母に期待していた。

私は母の期待通りにはならなかった。
なれなかったし、ならなかった。

母も私が期待したようにはならなかった。

それだけのことだ。

なんだ、お互い様じゃないの。

母はとっくの昔に私から離れているのに
私が親離れ出来ていなかっただけなのだ。

なんだか妙にさっぱりした気分になった。
いっぱい泣いた後のような。

過去と他人は変えられないけど
未来と自分は変えられる。

私を取りまいているたくさんの

優しいもの
温かなもの
愛おしいものに

感謝して生きていこう。





拍手[6回]

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上の弟が部屋に引きこもってしばらくした頃のこと。

ある日電話が鳴った。
私が取ると、それは近所のかかりつけ医院のS先生から。

昨日の昼間に上弟が風邪気味だと言ってS先生を訪ねて来たのだが
風邪よりも鬱状態が酷い、一刻も早く専門の先生に診てもらうのが
いいのではないかという事であった。

私はすぐに両親に話した。

母は半狂乱になった。
「あそこの医者はうちの大事な長男をキチガイ扱いするのかっ!!」
とすごい勢いで叫んだ。
何を言っても泣いたり喚いたりで聞く耳を持ってくれない。

父はダンマリを決め込んでわれ関せず、完全逃避の姿勢。

「ダメだこりゃ」  ←いかりや長介さん風

話にならない。

しかたなく私がS先生の所へ出向き
家の事情を話すと、それならお姉さんがまず先生に会って
話をしたらどうかと言われた。
このまま放っておいたら自殺の危険がある
一刻も早い方がいいと、市内の総合病院の精神科の先生に
紹介状を書いてくれた。

私はすぐに年休をとって総合病院の精神科へ行った。

*        *         *

今でこそ私の住むまちにもメンタルクリニックが何軒もでき
精神・心神症系の病院の敷居が低くなったが
当時はそうではなく、特に親の世代からしてみたら
自分の子が精神科に罹るなんて
耐えられなかったのかもしれない。

しかし、私はこの件については
当時の両親の対応(逃避)を許すことはできない。

世間体を気にするばかりで
自分の子供の問題に向き合わなかった。

自閉症という障害を持った下弟に対しては
そんなことなかったのに。

世間体があるから、家から追い出したりしなかったものの
心の面では完全に棄てていたのだ。

自分の思うように育たなかった時点で
きょうだい児の私達は
実質棄てられたのだ。

*        *         *

精神科の待ち合いは病院の奥の
目につかない場所にひっそりとあった。

私はおずおずと中に入って行ったのだが

他の診療科と何も変わらない待合の風景に
気が抜けてしまった。
ホッとした。
そして、自分も精神科に対して偏見を持っていた事を
自覚し、恥じた。

先生は穏やかな人で私の話をうんうんと聞いてくれた。
そしてアドバイスをくれた。

その後、どうにか上弟を先生に会わせることができた。
一件落着とはいかないが、少しだけ事態は進展した。

あの時、私も知らん顔をしようとすればできたのだろう。

あんなに差をつけられ可愛がられて(甘やかされて)
嫉妬していたきょうだいなのに。
見捨てられなかった。

親の期待を裏切り、見放されてしまった上弟の中に
自分の姿を見ていたのだろうか。






拍手[13回]

第一子にとって、きょうだいが生まれると、
それまでひとり占めにしていた親の愛情が分散して
何かしら寂しい思いをするものである。

夫が子どもの頃の話をしてくれた時もそう感じたし
自分の子どもを見てもそう思った。

仕方がないことなのだが
我慢ならないことだってある。

私が強く感じていたのは下弟の事よりも
母の上弟と自分に対する扱いがあまりに違うということだった。
それは兄弟が出来て愛情が分散するというようなものではなかった。
あきらかに差をつけられていたのである。

中学の頃、母に抗議したことがあった。
あの頃の私は、まだまだ家で言いたい事を言っていたのだ。

母の答えはこうだ。

「あんたはどうせ、嫁にやる子だから。
上弟君はうちの大事な長男だもの。
大事にされてあたりまえなの!」

もしかしたら母も祖母から同じ事を言われたのかもしれない。

しかし、「どうせ嫁にやる子」という言葉は
中学生の私に納得できる理由ではなかった。

「どうせ嫁にやる子」を
母は私に言うだけでなく、他の人間にも言っていたに違いない。

母は、進路を決める三者面談の席で
担任の教師に

「本当はこの子は高校進学しなくてもいいと思っているんです。
どうせ嫁にやる子に義務でもない教育を
受けさせたくないですから
!」

と言ったのだ。

担任の教師から
「まぁまぁ、お母さん、いくら女の子でも今どき
高校くらい出ていないと。」
とやんわり窘められ、私は救われたのだ。

結婚後に、母にこの事を話したことがあったが
彼女は全く覚えていなかった。

母もまた、私に対して、あんたがあの時ああ言ったこう言ったと
いろいろ言ってきたが、私自身そんなこと言ったかなと
全く記憶にないので

お互い様なんだろうか。





拍手[4回]

遠くに進学・就職していた上弟が突然実家に戻ることになった。
私は詳しい事は何も知らない。知らされていないし聞きもしなかった。
あんなに嫌っていたであろう実家に一体なぜ戻ってくるのだろうとは思ったが。

父が引越しの手伝いをしたようだ。
母に
「お母さんは行かないの?」
と聞いたら
「うるさいっ!仕事で忙しいから行けないのよ!
そんなに言うならあんたが行きなさいっ!!!」
と恐ろしくヒステリックに怒鳴られた。

一体何なの?と思ったが
母がヒステリックに怒鳴り散らすのは日常茶飯事だったので
また怒ってるよ位にしか思っていなかった。

帰ってきた上弟を見て驚いた。
ガリガリに痩せ、目に全く光がなかった。

一日中部屋に籠って、就職活動をする様子もない。

母が親戚のつてで就職先を見つけてきたようだ。
明日から会社へ行くから毎日弁当を作って持たせるように言われた。

上弟が弁当を食べてきたのは初日だけだった。
2日目から弁当は全くの手つかずで戻ってきた。
早起きして作った弁当を、夜そのままゴミ箱に捨てるのは
気分が悪かった。しかしそんな日々はすぐに終わった。
上弟が会社に行かなくなったからだ。
会社どころか、部屋からも出て来なくなった。

母は親戚の顔に泥を塗ることになったと嘆いていた。
あんなに可愛がってきた大事な長男様が
社会からドロップアウトしてしまいそうな時なのに
事態の深刻さをわかっていなかったのか。

あの時家族みんながもっと真摯に
考え行動していたら、なんとかなったのだろうか。

今更もう遅いのだけど

拍手[7回]

毎日のぞいている掲示板で見た、ある人のHNを見て
ふっと思い出した事を書いてみようと思う。
そのHNはある食べ物の名前。

私が高校生の頃、授業中にノートを回して
リレー小説を書く事が流行っていた。
ひとり1文か2文ずつ話を書いて近くの席に
回していき、授業が終了するときに完結させるのだ。
男女関係なくノートが回って来て、書きたい人が書き
参加しない人はそのまま次の人に回していくという
ちょっとしたクラスの娯楽。
ネタはその授業の先生だったり、TV番組だったり
内容は軽いもので、休み時間に皆で書きあがったものを
読んで笑うというものであった。

ある日私のところにノートが一冊回ってきた。
いつものリレー小説かと思い、読んでみると
なんだか変だ。

それはどうやらクラスのある女子の交換日記だったようだ。
クラスメートの悪口ばかりが書き連ねてあった。
気がつかずにリレー小説だと思って読んでしまったのは
登場人物が全て食べ物の名前で書かれていたからだ。

しかも、悪いことにそこに書かれていた悪口は
一緒に弁当を食べていた仲間達。
書いていたのもその中の2人。
内容から誰が書いているかも一瞬にして
分かってしまった。
その日の朝、私がその二人と話したことが
書かれていたからだ。

私のことも食べ物の名前(みかん:仮名)で表現されていた。

”今朝、学校に着いたらさぁ、みかんが話しかけてきたでしょ?
OOな事言ってさ~、話し方が気持ち悪いよね、大っ嫌い、
話しかけないで欲しいよ~。”
”そうそう!私もみかん大嫌い~!!!”

OOな事(話の内容)は私からすれば、
「いいお天気ですね。」程度の挨拶だった。
ニコニコして話しておきながら、心の中では
こんな風に思っていたんだ・・・。

私は黙ってノートをパタンと閉じ、
隣の男子に回した。

彼女らの席のちょうど真ん中辺りに
私の席があったのだ。
私を飛ばしてノートを渡すつもりが、
リレー小説だと思って中を見ずに回されたのが
運悪く私の席に来てしまったのだ。

顔は見ていないが彼女らは青ざめていたのかもしれない。
しかし、こんな危険な内容のノート、授業中に人を介して回すか?

なんて浅はかなんだろう。
暇なのか、シアワセなのか・・・。

私は同じ高校にこんな低レベルな人達がいて
しかも、何も知らずに一緒に弁当食べて楽しく語らっていた事に
とても失望した。

他のメンバーに
あの子ら、アナタらのこと、こんな風に言ってるのよと
暴露してやろうかと思ったが、
そんなことしたら彼女らと同じ低レベルだなと思ってやめた。

その頃の私は家が嫌で嫌で、学校で友達と他愛ない話を
することが小さな幸せだったのだ。
その幸せを自分の言動で壊したくなかったのだ。

あのノートは見なかったことにした。

素知らぬ顔で学年末まで毎日、一緒に弁当を食べ続けた。

悪口ペアに対しては、私から話しかけることはしなかったけど。





拍手[9回]

あれは私が中学生の頃のこと。

母方の従姉妹が結婚することになった。

長姉の娘である従姉妹は10歳年が離れていた。

他のいとこ達は一番上が私ともう一人のいとこ、
上弟と同じ年の子が2人、下弟と同じ年の子がひとり。
皆同世代だった。
そこそこ仲良くしていたと思う。
会うのは盆と正月だけではあったが。

お盆に母の実家で親戚が集まった時
従姉妹の結婚披露宴の8ミリ上映会をやることになった。

部屋の電気を消し、ふすまをスクリーンにして
上映が始まった。

それを見て、私は初めて気がついた。

結婚披露宴にはうち以外のいとこ達が
全員招待されていたのだ。

つまり、うちだけ母一人が出席し
ほかの親戚は家族全員が出席していたのである。

どういう経過でそういうことになったのかは知らない。
母は何も話さなかったし、父も何も言わなかった。

どうしてうちだけ母一人出席だったのか、
あとで聞く事もなかった。
聞いたって何の意味もないし。

楽しそうに8ミリを見ている親戚の中で
なんとも居心地が悪くなり
早く家に帰りたいと思ったことを
覚えている。



拍手[5回]

小6刺され死亡、17歳兄逮捕

やりきれない。本当に親御さんや祖父母、残された女の子のきょうだいが
今どんな気持ちでいるのかと思うと、悲しくて胸がつぶれそうになる。

しかし、障害者のいる家庭に限らず、こういった事件とギリギリのところを
歩いている家庭って結構あるのではないだろうか。

掲示板やブログで
家庭内暴力の悩みを打ち明けている人の数の多さを見ると
殺したり殺されたりしないだけで、
表沙汰になっていない人がいったいどれだけいるのだろうと思ってしまう。

自分だって下弟に飛びかかられた時 咄嗟に投げつけた置き物が、
彼の頭に命中し、こめかみの血管を切っていたら・・・。
【23歳の女 知的障害のある弟を 撲殺】
なんてことになっていたかもしれないのだ。

いろんな不運が重なって重なって
起きてしまった事件なのだと思う。

小6の男の子のご冥福を祈ります。


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