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中学生の頃、夏休みに大学生の従姉妹と映画を見に行ったことがある。
自主製作の映画だったのかもしれない。
タイトルすら覚えていないのだが、
筋ジストロフィーの患者さん本人が主演の映画で
健常者の女性と恋をするのだが、結局結ばれず
病状が進み亡くなってしまうというような内容だった。
おそらく親の会が主催の上映で
母がチケットをさばかなければいけなかったのだろう。
どうして従姉妹のお姉さんに連れて行ってもらうことになったのか
全く覚えていないが、免許取りたてのお姉さんの運転で
映画館ではなく、どこかの市民会館に行ったと思う。
私は何の感情もなく、ぼんやりとその映画を見ていた。
物語が終わって隣の席に座っている従姉妹を見ると
彼女はハンカチを出して目を押さえていた。
「そうか、これは泣く映画なんだ。」
と少し驚いた。
帰りに従姉妹が
「喫茶店に寄ろうか。」と言ってくれた。
喫茶店の静かでひんやりした空気、
珈琲の香り、オーダーしたクリームソーダの
鮮やかな緑色と小さな泡、
白いアイスクリームと銀色の細いスプーン、
クリームソーダがすごく美味しかった、
喫茶店に連れて行ってもらって嬉しかった気持ちは
はっきりと、とてもよく覚えている。
あの頃は、ゆっくりと静かに過ごす時間って
ほとんどなかったから
よく覚えているのかもしれない。
下弟の小学校生活は、ボコられる毎日だった。
特殊学級クラスメートの太郎君(仮名)に
毎日毎日ボコられていたらしい。
学年が少し上で、体の大きい太郎君に、
下弟は抵抗することができなかった。
ジャージにマジックで落書きされるは(前述のとおり)
ランドセルに靴跡がくっきり(蹴られた)
鼻やおでこに擦り傷(突き飛ばされて倒れた)
毎日がこんな調子。
普通の子なら不登校になってしまっても不思議でないのに
「学校には毎日行くもの」と教えられていた下弟は
毎日ちゃんと学校に行っていた。
母は学校に相談していたようだが
そもそも無理言って入学していたものだから
「ここが嫌なら養護学校に転校してくださいな」
という対応だったようだ。
そんなある日起こった事件。
下弟が頭に大きなたんこぶを作ってきた。
漫画のたんこぶのようにびっくりするほど大きい。
触ると柔らかくぶよぶよしている。
しかも時間の経過につれてどんどん大きくなってきた。
母は下弟を病院に連れて行った。
母の話によると、たんこぶというのは頭の下の皮膚が
内出血を起こしているのだが、内出血がひどく
自然に引っ込む状態ではなかったとのこと。
処置として頭に針を刺して血を抜いてもらったんだそうだ。
血を抜く為の太い針と抜いた血を見て
母の怒りは頂点に達した。
学校で事情を聞いたところ、太郎君が下弟を
机(教壇だったかも)の上に立たせ
胸を押して突き落としたらしい。
それからしばらくして、
太郎君が転校したと聞いた。
太郎君やそのお母さんとどんなやりとりがあったのかは
私は全く知らない。
太郎君にもきょうだいがいたけど・・・。
二人とも今はどうしているんだろうか。
下弟に虫歯が見つかってしまった。
母は下弟を近所の歯医者に連れて行った。
しかし、近所の歯医者には彼を治療することはできなかった。
もう連れてこないでと断られたらしい。
かかりつけの内科の先生にはちゃんと診てもらっていた。
耳鼻科や皮膚科にもかかっていたが、そこでの下弟は
ちょっとした人気者であった。
でも、歯医者だけは駄目だったようだ。
結局、電車で1時間半程かけて専門の小児歯科に通うことに。
私は高圧的な近所の歯医者が嫌いだったので
「私もそこの歯医者さんに行きたいな。」
と言うと
「あんたが通う所じゃないよ。」
と言われたので一度もその歯医者に行く事はなかったが。
無事に虫歯の治療ができた下弟。
どんな先生がどんなふうに治療したのかな、ちょっと気になる。
紺色なのだが、洗濯した時に何か黒い線が見えた。
よく見ると、ももの部分全体に黒いマジックで
ドラえもん
の絵が描いてあるではないか!
洗濯後にもしっかり残っているという事は
油性マジックで描かれたものである。
見るとドラえもんは頭が足の付け根の方向、
足が膝の方を向いて描かれているので
ジャージをはいて座った状態の下弟の
正面から描いたと思われた。
下弟は絵が巧かったのだが、こんなにちゃんと?
逆さまに描けるはずがない。
母は怒り心頭、学校で話を聞いたところ
特殊学級にいるクラスメートにやられた事が判明。
その子は知的には全く遅れがないのだが
聴覚に障害があり特殊学級にいたと聞いている。
人とコミュニケーションがうまくとれず、
常にイライラしていた彼は、そのイライラを
下弟にぶつけたのかもしれない。
この件についてはどのように解決したのか
聞いていないのだが、これはこの先起こるトラブルの
ほんの入り口にすぎなかったようだ。
ちょっとした隙に教室を出て行ってしまうらしい。
彼は普通学級と特殊学級(当時の言い方)とを
行ったり来たりの生活だったので、休み時間のホントに
ちょっとした隙に外へ出て行ってしまった。
その度に母は呼び出されて、探しまわり、連れ戻していたようだ。
この頃私は、家事担当員となっており、下弟が家の外で起こす
問題にはかかわっていなかったので、この辺の事は全て母から
聞いた話になる。
ある日、下弟が夕方になっても家に帰らなかった事があった。
学校に問い合わせると確かに下校した、近所の子ども達に
聞いても確かに家の前まで歩いてきたという。
一体どこへ行ったのか?
近辺を捜し回ったがどこにもいない。
日が暮れてきて、これはもう警察に捜索願を出すかと
いうところに一本の電話。
家から60Km程離れたある都市から。
こちらでお宅のお子さんを保護していますから迎えに来て下さいと。
特急電車の中で切符を持たずに乗っているところを
車掌さんに声をかけられ、パニックを起こしたため
次の駅で降ろされ、保護されたらしい。
ランドセルをしょっていたので、そこから連絡先がわかったようだ。
どうやってその列車に乗ったのかは今現在も謎のままなのだが。
弟を迎えに行って返ってきた母は
無事でよかったという安堵感と共に疲労困憊した様子であったのに
私が下弟に
「大冒険したね!」
とKYな一言を発したため、後で母からひどく怒られた。
20年以上経った未だに
「あの時のあんたの能天気な一言には腰が抜けそうになった。」
と言われる。
下弟は近所の保育園に通っていた。
入園時には既に自閉症と診断されていたが
母曰く「親戚の議員に頼んで」入園できたらしい。
ところが、小学校となると難しかったらしい。
受入れについて相当いろいろとあったようだ。
養護学校への入学を勧められ、見学に行った母は
帰宅すると一言
「あそこに行かせたらアカン!
駄目だ。下弟クンが駄目になる!」
聞くと、見学に行った養護学校には
ダウン症と単純精薄(今はこんな言い方しないですよね、
漢字変換できなかったし)の子ばっかりだったそうだ。
「あの子らと自閉症の子は違う!あの子らと一緒にいたら
駄目だ、絶対地元の学校に入れる!」
と母は言った。
あの頃、自閉症は脳の障害というのはまだ単なる一説扱いで
躾けや周りの対応でなんとかするものという考えが強かったのか。
普通の子らと一緒に生活することで症状が改善するといわれていたようだ。
下弟は地元の小学校へ通うことになった。
私は既に小学校を卒業していたので他人事だったが
上弟は戦慄していたらしい。
そして、保育園で起こしたトラブルとは比べようもない
トラブルと共に学校生活を送ることとなったのだ。
中学の卒業式の日、家に帰ると母に呼ばれた。
わざわざ呼びつけて、一体何かなぁと思い母のところへ行くと
母はこう言った。
「今日で義務教育は終わり。
ってことは、親が面倒をみる義務は終わったってこと。
だからお母さんは今後一切、あなたの為に何もしないから。」
そして、この家で暮らしていく為には家事をすること、
家で働かなければ高校に通わせてもらう権利はないから
そのつもりでと言われた。
「卒業おめでとう」とは言ってもらえなかった。
そして、母が言った通り、高校の入学準備(制服の注文等)を
全部一人でこなした。もちろん、お金は渡してもらえたのだが、
「本当はあなたの為に使うお金なんて、うちには一銭もないんだからね!」
と言われた。
その後7年間、私が大学を卒業するまで
何かにつけて母に言われ続けた言葉である。
弟達が大事なのはわかるけど、
未だに悲しく思っている。
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