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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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遠くに進学・就職していた上弟が突然実家に戻ることになった。
私は詳しい事は何も知らない。知らされていないし聞きもしなかった。
あんなに嫌っていたであろう実家に一体なぜ戻ってくるのだろうとは思ったが。

父が引越しの手伝いをしたようだ。
母に
「お母さんは行かないの?」
と聞いたら
「うるさいっ!仕事で忙しいから行けないのよ!
そんなに言うならあんたが行きなさいっ!!!」
と恐ろしくヒステリックに怒鳴られた。

一体何なの?と思ったが
母がヒステリックに怒鳴り散らすのは日常茶飯事だったので
また怒ってるよ位にしか思っていなかった。

帰ってきた上弟を見て驚いた。
ガリガリに痩せ、目に全く光がなかった。

一日中部屋に籠って、就職活動をする様子もない。

母が親戚のつてで就職先を見つけてきたようだ。
明日から会社へ行くから毎日弁当を作って持たせるように言われた。

上弟が弁当を食べてきたのは初日だけだった。
2日目から弁当は全くの手つかずで戻ってきた。
早起きして作った弁当を、夜そのままゴミ箱に捨てるのは
気分が悪かった。しかしそんな日々はすぐに終わった。
上弟が会社に行かなくなったからだ。
会社どころか、部屋からも出て来なくなった。

母は親戚の顔に泥を塗ることになったと嘆いていた。
あんなに可愛がってきた大事な長男様が
社会からドロップアウトしてしまいそうな時なのに
事態の深刻さをわかっていなかったのか。

あの時家族みんながもっと真摯に
考え行動していたら、なんとかなったのだろうか。

今更もう遅いのだけど

拍手[7回]

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下弟が私に卑猥な言葉をかけてくるようになってきたが
私はそれを聞き流して放っておいた。
熱病のようなものだろう、そのうちやめるだろうと思っていたのだ。

ある夜のことだった。
その日は2時間くらい残業して帰宅したので、9時頃だったろうか。
父は仕事で不在、ガレージに車がなかったので、母もどこかへ出かけているようだ。

玄関を開けると、玄関ホールの奥で下弟が毛布にくるまってうずくまっていた。

「?」

私は靴を脱いで上がりながら声をかけた。

「どうしたの?」

下弟がすっくと立ち上がった。はらりと毛布が床に落ちた。

「は?」

目が点になった。
下弟は全裸だったのだ。
声を出して笑いながら私に近づいて来た。

プチッ

私の心の中で何かが切れた音を聞いた。

「やめて~!!!」

押し倒される寸前、私は下弟を思いっきり蹴飛ばしていた。
一瞬ひるんだ隙に、下駄箱の上にあった置き物をつかんで
弟に投げつけた。
置き物は壁に当たり、バラバラに砕け散った。
私は鞄を振り回し、その辺にあるものを全部つかんでは投げ
うずくまった弟の背中を何度も蹴飛ばした。

なんなのよ、一体?
私が何をしたっていうの?
どうして、こんなのが私のきょうだいなの?
どうして、私がこんな思いをしなければいけないの?

姉の狼狽ぶりを見て、下弟は自分がしたことが
いけないことだったとわかったのか、
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
と言って泣き出した。

私も泣いた。
情けなくて、悲しくて。

玄関先で子どものようにわんわん泣いた。

そこへ母が帰宅した。
「あんたたち、何やってるの?」
何やってると聞かれても何も答えられなかった。
「もう嫌、もう嫌だよ。」
と泣きながら言うことしかできなかった。

母は下弟を部屋へ連れて行った。

戻ってきた母は私に言った。

「あんたはいいわよ。あと何年かしたら結婚して出ていくんだから。
私はあの子とこれからも一生付き合うのよ。
あんたはあと何年かのことなのに、どうして我慢できないの?」

結婚して出ていく?
誰がこんな家の娘を
お嫁にもらってくれるのよ?
あと何年かのことだから我慢しなきゃいけないの?
そんなの無理だよ、無理。
私は聖人君子じゃない。
ひとりの弱くて平凡な人間だ。
涙が止まらなかった。

*            *           *

それ以来、下弟が私に卑猥な言動をすることは一切なくなった。
それにしても、私が無事だったのは、年の離れた姉だったからかもしれない。
もし年齢が逆で、私が妹だったら、一体どうなっていたんだろう。
考えるとぞっとする。
それでも母は私に

「我慢できないの?」

と言うのだろうか。





 

拍手[15回]

私が実家に戻り、上の弟が県外に進学したころ、
下弟は高校生。

養護学校とはいえ、高校生。どこでそういった情報を
仕入れてきたのか知らないが、頻繁に
私に聞いてくるようになった。

「おねえってセックスしたことある?」

「セックスって気持ちいい?気持ちいい?」

親のいる前では聞かなかったので
親の前でしてはいけない話だとわかっていたのかもしれない。

いちいち真剣に答えるのもバカみたいだ。

何と返事をしても、しつこくしつこく何度も
同じ事を聞いてくるのだから。

親に相談など出来なかった。
父や母に話したところでどうにかなる筈がないと
思っていた。
相談相手などいなかった。
どうしていいかわからない。
下弟が聞いてこなくなるまで
「知らない」「わからない」で通すつもりだった。

あの頃、本当はどのように対処するべきだったのか。
こればかりは今になってもわからない。


 

拍手[3回]

私が大学に行って家を空けている間に
下弟は随分と背が伸びて、少年から青年になった感じだった。

中学校を卒業した下弟は養護学校の高等部に進んでいた。

 

そのころ、弟と同じ自閉症のAくん(仮名)を時々見かけた。
Aくんは下弟より少し学年が上の子だった。
自転車に乗ってウキウキと
走っている。

母に
「最近Aくんをよく見かけるね。」
と話すと、
Aくんは養護学校を卒業後作業所に通っているらしいのだが
通勤時に見かけるある女性を好きになってしまい
今でいうストーカー行為をしているようで、双方の親御さんが大変
困っているということだった。

ある日見てしまった。

Aくんが窓の下に立ってロミオとジュリエットのロミオよろしく
そこの家の女性と思われる名前を叫んでいたのである。

「○○さ~ん、○○さ~ん!」

私はいたたまれない気持ちになってその場を立ち去るしかなかった。

うちの弟も、もう少し大きくなったら同じような事するんじゃないだろうか?

背筋が凍るような気がした。

その頃の下弟は、当時人気のあったアイドルグループの雑誌を買ってきては
付録のポスターを部屋に貼り
「○○ちゃん、大好き~♪」
と言っては
ポスターにチューッとやっていた。

母は、Aくんのこともありそういった面で余所の人に
迷惑をかけぬよう、注意を払っていたようだ。

しかし、

私自身が恐ろしい目にあうことになろうとは
その時は予想できなかった。



 

拍手[1回]

ある時、職場の人に言われた。

「Murphyちゃんってどうしていつも怒っているの?」

いえ別に、私何も怒ってませんけど?と言うと

「だからさ、その言い方がさぁ、噛みつくような感じじゃないの。」

と言うのである。そして

「もっと普通に話したらいいんだよ。皆Murphyちゃんの敵じゃないんだから。」

そうかぁ?私怒ってるか?と思って、はっとした。

母の口調が移ってる。

いつも何かに怒っている。
何を言われても噛みつくような口調で返事をする。
まるで世の中の全て、自分を取り囲んでいる全てのものが
敵であるかのように。

あぁ、そうか。まずかったな。
自分では普通に話しているつもりでも、周りの人にはそうじゃなかったんだ。

母は外では普通に話しているじゃないか。
家では家族に怒っているけど。

それから意識して穏やかに話すように心がけるようにしたら
不思議なことに周りの雰囲気が変わってきた。

言葉って不思議だ。
ギスギスした言葉を吐いていると心もギスギスしてくる。
優しい言葉、穏やかな言葉には優しいこと、穏やかな人が
集まってくる。

当時の母は何かにつけ本当に大変な思いをしていたのだろう。

ただ、それもある程度は、彼女が吐いた言葉が
呼び寄せていたんじゃないかと思うのである。

事実としてあの頃、家族のだれもが八方塞の気持ちに
なっていたことは確かだ。
しかし、同じ危機的状況でも心の持ちようで違ったことに
なっていたのではないかという気もするのである。

拍手[8回]

母が、家に入れるお金をあっさり譲歩してくれたのは
やはり家事を手伝ってくれる人員が欲しかったからなのだろう。

しかし、社会人になった私はかなり忙しかった。
入社式から10日間は泊まりがけの研修で家を空け

配属が決まってからは毎日残業、日帰りの出張では
始発で出かけ終電で帰ることも珍しくない生活だった。
当時はバブル景気で、ありがたいことに仕事は忙しく
平日はとても家事などやっていられない状態だった。

母は仕事を持ってはいたが、所謂会社勤めの経験がなく、
女の子が働くといったら、お茶を入れたり電話の取り次ぎをしたりして
一日を過ごし、夕方になったら帰ってくるもんだと思っていたようだ。

「若い女の子をこんなに夜遅くまで働かせて!」
と、母は怒っていた。

私は、その昔部活をやめさせられたように、会社も辞めさせられるのではと
心配したが、さすがにそれはなかった。

家事は週末、休みの日に手伝っていた。
洗い物や洗濯物は木曜金曜からしっかりためられていた。

ある日曜日、母が一日家を空けていたので
その日は一日中台所を片づけることにした。
食器を全部出し、棚を綺麗に拭いて、レースの食器棚シートを
買ってきて敷き、めちゃくちゃに入っていた中の物を綺麗に
整頓して並べた。
食器棚の中は整理整頓に無頓着なのか、コップの上に皿、さらにその上に
茶碗が積んであるような状態だったのだ。扉を開けると物が落下してくることも
あったので、綺麗にしようと思ったのだ。

夕方、帰ってきた母がそれを見て、激しく怒りだした。

普段私がきちんとしていないことに対する嫌味か!余計な事をしてくれた!
どこに何が入っているかわからなくなったじゃないか!

と、叱られた。

あぁ、また怒られた・・・。
何をしても怒られる日々がまた続くんだと
ひどく落ち込んだ気持ちになったことを思い出す。

拍手[6回]

私には2人弟がいる。
自閉症の下弟と健常児だった上弟だ。

このブログの事は誰にも話していない。
もちろん上弟にも。

私は、彼が自分がきょうだい児であることについて
どう思っているのか全く知らないので
彼のことをいろいろブログに書くのはどうだろうと思ったのだが、
私が経験した過去の出来事のひとつとして記述しておくこととする。

上弟は大人しく穏やかな子どもだった。
そんな上弟を母は溺愛していた。
あからさまに私と差をつけられたものだから
私は彼を妬んでいた。

しかし上弟は父とは折り合いが悪かった。
顔も性格もよく似ていたのだが、
磁石の同極が反発しあうかの如く
反発しあっていた。
本当に仲が悪かったのだろう、上弟は
父が病気になっても、一度も見舞うことなく
臨終の際に駆けつけて来ることもなかったのだ。

私達がティーンエイジャーになった頃、
父と母の仲は冷え切っており、
かといって離婚することもせず、
家庭内の空気は最悪だった。

母は上弟を溺愛。溺愛と言っても
今思うと、自分の思うようにしようとコントロールしていただけだった。
特別扱いされる上弟を妬んでいた私は、上弟に優しくできるはずもなく、
ウマの合わない父からは辛く当たられ、
彼は家庭内サンドバッグ状態だった。

母が上弟の教育費に関しては出費を惜しまなかった為
彼は県外の私立大学に進学することができた。

「うまく実家から遠くに逃げたじゃん。」

当時の私はそう思ってイライラしていた。
「受験費用だけで、私の4年分の学費以上の金
使ってんじゃん!自分で一銭も出さないでさ!」
等々酷い言葉を吐いていた。

上弟は県外の大学を卒業し、遠くの地で就職。

あの子はもう実家に戻っては来ないだろう。
その土地の女性と結婚して
実家と縁を切るつもりなのだろう。

しかし、彼は心と体を壊して実家に戻ってくることになる。

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