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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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結婚してからも私は実家と同じエリアに住んでいる。

さすがにスープは冷めてしまう距離だが、車で10分も
走れば着いてしまう。

引越しをして少し落ち着い頃
母から連絡があった。
次の土曜日の夕飯を一緒に食べないか?
ただし、自分は出かけていていないので
父と弟達を呼んで、夫と5人で食べてくれと言うのだ。
私は実家の家族をまだ一度も呼んでいなかったので
新居に招待するつもりで快諾した。

偏食の多い彼らが食べられそうな献立を考え
ちょっと張りきって準備した。

さて当日。

約束の時間になっても一向に父と弟達は来ない。
途中で事故にでもあったのかと心配になって来た。
実家に電話してみる。
呼び出し音がなる。ツー、ツー、ツー・・・
10回ほど鳴らした頃、カチャッと受話器を取る音が聞こえた。

「もしもし?Murphyだけど。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「もしもし?」

「・・・・ウッ、ウッ、ウッ・・・・」

上弟が嗚咽しているようだ。

何があったんだろう?

私は夫にちょっと実家に行ってくるわと告げた。
夫は一緒に行こうか?と聞いてくれたが
一人で行くことにした。

実家に着くと、茶の間で父がムッとした顔で座っていた。

「どうしたの?何やってるの?心配したよ?」と言うと

父はムッとした顔のまま言った。

「おまえなぁ、こういうこと一度やっちゃうとな、
これからお母さんは何度でも言ってくるぞ。
下手すると毎週末実家の夕飯を作るはめになる。
お前はお父さんたちを食事に招待するだけの
つもりかもしれないが、招待するなら家族全員でないと
おかしいだろ?お前は結婚して別の世帯を持ったんだ
から、けじめをつけないと。」

母は父に、土曜日はMurphyの家で
夕飯食べてね、と言って出かけたらしい。

私は新居に招待したつもりだったのだが
実家ではそのように受け止められていなかったのか。

「わかった。帰るね。」

私はアパートに戻った。

夫は何も聞かなかった。
「ビール、飲むか?」と言って
私のグラスにビールを注いでくれた。

*       *        *

あれから20年近くの月日が流れたが
ただの一度も、実家の家族を食事に招いたことがない。




 

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いいお父さんだったのですね
壊れた家庭では、何が壊れるかって、
メンバーの距離感が壊れてしまうのですね。
お父さんは、まれに見るまっとうな感覚の持ち主だったのですね。
お父さん亡き今、大変なことも多いかと思います。

わたしの父は、土足でずかずか踏み込んで平気なタイプです。
たまたま父が長兄にあまり関心がないために、
わたしたちが父から長兄の世話を強いられたことはありませんが、
幼児的な男なので、相談したり、守ってもらったりということは不可能です。
残念。

わたしの母は、母なりに長兄のことで、
わたしたちに負担をかけてはいけないと考えてはいたようですが、
その代わり、母自身が長女であるわたしにどしーと覆いかぶさってきました。
愚痴聞き役がほしかったのでしょう。
長年、わたしの顔さえ見れば父に対する不平不満を吐き出し、
次兄が反抗期に入ったときは、小学生のわたしに「後は頼むわ」と家出未遂をし、
妹が不登校になったときは、はるばる、わたしの下宿へ泣きついてきました。
先日、夫を連れて帰省した折、
夫という他人がいるにもかかわらず、父に対する愚痴を並べ始めたので、
「そんな話は止めて」と初めて制し、とっとと帰ってきました。

なんなのでしょう。人をただ利用できる便利な道具としか思っていない。
そして、本人は「子どもを愛している」と思い込んでいる…。

自分と自分の家庭をいかに守るか、わたしも思案中です。
MARU URL 2011/01/30(Sun)10:45:56 編集
コメントありがとうございます
壊れた家庭ではメンバーの距離感が壊れる、
本当にそんな状態だったのかもしれません。

MARUさんのお母様はMARUさんに頼りきって
いるんですね。その点私は母から完全に
見放されていますから楽できていると思います。

中学卒業後は家政婦のような扱いでしたね。
結婚後も同じ様な感覚だったのを、父が自分が
悪者になることで壊してくれたのでしょう。

同じエリアに住んでいるのに付き合いが薄いのは
寂しい気もしますが、見放されたのではなく解放してもらえたんだと思って暮らしています。

Murphy 2011/01/30(Sun)17:03:42 編集
道具にされること
見放されながら、
家政婦のように都合よく使われたきたのですね。
どれだけ苦しかったかと胸が痛みます。

わたしは、頼りにされているというよりも、
精神的なゴミ箱にされてきた気がします。
わたしが母のゴミ箱として役に立つ間は、
せっせと頼ってくるけれど。
わたしが次兄のように反抗したり、
妹のように不登校になっていたら、
見放されていただろうと思います。
MARU URL 2011/01/31(Mon)08:18:34 編集
精神的なゴミ箱
愚痴の掃き溜めにされ続けているって
本当に辛いですね。

ウチの場合はその役割を今も上の弟が
やってくれてるのかなと思います。
いまだ自立せず母の扶養家族になっている
状況からすると共依存の状態なのかなと
思っていますが・・・。
Murphy 2011/01/31(Mon)09:49:07 編集
無題
お父様、人の気持ちを理解してくれる方だったのですね。
うちは、父とは絶縁してしまったので
弟のことでこれから父と関わることはもうないのかもしれませんが、こうやってちょっとじっくりと話せる機会が過去にあったら、何か変わっていたんだろうか…と、考えてしまいました。
それぞれに家庭が出来ても、家族関係って複雑につながり続けるのですねぇ…。
食事一つとっても、こんなふうに悩んでいかなければいけないなんて、ちょっと切ないですよね。
お母様は、いったいどんな心境でいるのでしょう???う~ん…。
さきさわいずみ 2011/01/31(Mon)11:31:15 編集
無題
毎日息子の世話であっという間に1日が過ぎます。4.泣くと焦ってしまったり。昨日の夜中に抱っこしたままウトウト。気付いたら頭ダランと下になってて今日焦って病院へ脳に支障ないか聞いてしまいました。 
お父さんは連れ添っているだけあってなんでもよく分かっているんですね。救われますね。私はまだ主人と弟を会わせたことないです。。。
yuka 2011/01/31(Mon)12:09:21 編集
コメントありがとうございます
さきさわさんへ

母はこの件については、単に父がへそを
曲げただけだと思っていたようでした。
父を抜かして母が私と勝手に約束したから
怒った、という感じで。
その後、母が不在の際に御飯作りを頼まれる事は
一度もなく、私が実家の家族を食事に呼んだりすることもなく十数年が過ぎました。
寂しいといえば寂しいのかもしれませんが
お互い平和に暮らしていく距離感なのかなぁと
思っています。

yukaさんへ

お子さんが産まれて1ヶ月、
寒い冬は夜中の授乳が大変ですね。
暖かくなる頃には首が座って
だっこが楽になりますよ。
体に気をつけて頑張って。

うちの夫もここ3年くらい弟に
会ってないですよ~。
家族の姿は家族の数だけあると思って
気にしないようにしています。

Murphy 2011/02/01(Tue)09:47:22 編集
無題
私が意見できることじゃないですが、
頑張ってください。
会話術を磨こう URL 2011/02/02(Wed)14:29:42 編集
コメントありがとうございます
会話術を磨こう様
ありがとうございます。
よかったらご意見も聞かせてください。
Murphy 2011/02/03(Thu)10:07:20 編集
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