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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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上の弟が部屋に引きこもってしばらくした頃のこと。

ある日電話が鳴った。
私が取ると、それは近所のかかりつけ医院のS先生から。

昨日の昼間に上弟が風邪気味だと言ってS先生を訪ねて来たのだが
風邪よりも鬱状態が酷い、一刻も早く専門の先生に診てもらうのが
いいのではないかという事であった。

私はすぐに両親に話した。

母は半狂乱になった。
「あそこの医者はうちの大事な長男をキチガイ扱いするのかっ!!」
とすごい勢いで叫んだ。
何を言っても泣いたり喚いたりで聞く耳を持ってくれない。

父はダンマリを決め込んでわれ関せず、完全逃避の姿勢。

「ダメだこりゃ」  ←いかりや長介さん風

話にならない。

しかたなく私がS先生の所へ出向き
家の事情を話すと、それならお姉さんがまず先生に会って
話をしたらどうかと言われた。
このまま放っておいたら自殺の危険がある
一刻も早い方がいいと、市内の総合病院の精神科の先生に
紹介状を書いてくれた。

私はすぐに年休をとって総合病院の精神科へ行った。

*        *         *

今でこそ私の住むまちにもメンタルクリニックが何軒もでき
精神・心神症系の病院の敷居が低くなったが
当時はそうではなく、特に親の世代からしてみたら
自分の子が精神科に罹るなんて
耐えられなかったのかもしれない。

しかし、私はこの件については
当時の両親の対応(逃避)を許すことはできない。

世間体を気にするばかりで
自分の子供の問題に向き合わなかった。

自閉症という障害を持った下弟に対しては
そんなことなかったのに。

世間体があるから、家から追い出したりしなかったものの
心の面では完全に棄てていたのだ。

自分の思うように育たなかった時点で
きょうだい児の私達は
実質棄てられたのだ。

*        *         *

精神科の待ち合いは病院の奥の
目につかない場所にひっそりとあった。

私はおずおずと中に入って行ったのだが

他の診療科と何も変わらない待合の風景に
気が抜けてしまった。
ホッとした。
そして、自分も精神科に対して偏見を持っていた事を
自覚し、恥じた。

先生は穏やかな人で私の話をうんうんと聞いてくれた。
そしてアドバイスをくれた。

その後、どうにか上弟を先生に会わせることができた。
一件落着とはいかないが、少しだけ事態は進展した。

あの時、私も知らん顔をしようとすればできたのだろう。

あんなに差をつけられ可愛がられて(甘やかされて)
嫉妬していたきょうだいなのに。
見捨てられなかった。

親の期待を裏切り、見放されてしまった上弟の中に
自分の姿を見ていたのだろうか。






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