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きょうだい児だった私が今まで歩んできた道   Since 2010
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第一子にとって、きょうだいが生まれると、
それまでひとり占めにしていた親の愛情が分散して
何かしら寂しい思いをするものである。

夫が子どもの頃の話をしてくれた時もそう感じたし
自分の子どもを見てもそう思った。

仕方がないことなのだが
我慢ならないことだってある。

私が強く感じていたのは下弟の事よりも
母の上弟と自分に対する扱いがあまりに違うということだった。
それは兄弟が出来て愛情が分散するというようなものではなかった。
あきらかに差をつけられていたのである。

中学の頃、母に抗議したことがあった。
あの頃の私は、まだまだ家で言いたい事を言っていたのだ。

母の答えはこうだ。

「あんたはどうせ、嫁にやる子だから。
上弟君はうちの大事な長男だもの。
大事にされてあたりまえなの!」

もしかしたら母も祖母から同じ事を言われたのかもしれない。

しかし、「どうせ嫁にやる子」という言葉は
中学生の私に納得できる理由ではなかった。

「どうせ嫁にやる子」を
母は私に言うだけでなく、他の人間にも言っていたに違いない。

母は、進路を決める三者面談の席で
担任の教師に

「本当はこの子は高校進学しなくてもいいと思っているんです。
どうせ嫁にやる子に義務でもない教育を
受けさせたくないですから
!」

と言ったのだ。

担任の教師から
「まぁまぁ、お母さん、いくら女の子でも今どき
高校くらい出ていないと。」
とやんわり窘められ、私は救われたのだ。

結婚後に、母にこの事を話したことがあったが
彼女は全く覚えていなかった。

母もまた、私に対して、あんたがあの時ああ言ったこう言ったと
いろいろ言ってきたが、私自身そんなこと言ったかなと
全く記憶にないので

お互い様なんだろうか。





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