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東北地方太平洋沖地震
私の住む地域は震度3程度で大きな被害はでていないのだが
TVで映し出される映像を見て胸を痛めている。
このブログにちょくちょくコメントをくださるアリッサムさんが
被災地にお住まいとのことで、とても心配だ。
関東東北地方の方々に心よりお見舞い申し上げます。
* * *
自閉症の弟は「鉄ちゃん」で
時刻表を読んで、休日は電車に乗り出かけることが多い。
今回地震が金曜日の午後で彼は仕事に行っていたが
これが一日ずれて土曜日の午後に地震が起こり
彼が電車に乗って遠方に出かけていたら・・・
一体どうなっていたんだろう?
自閉症の人は予定の変更や周りの状況の予測外の
変化に対してとても強い不安を感じ、しばしばパニック状態に
陥る。もし彼が一人で今回のような災害に遭遇したら・・・。
ずっとずっと前の話だが、休日に新幹線を使って遠出していた弟が
帰りの列車が運休になり、足止めをくってしまったことがあった。
弟は携帯から実家に電話をかけて来た。
自分は駅にいて、電車が止まって家に帰れないとパニック寸前の状態だったらしい。
とにかく、落ち着いて待っているように言い聞かせ、父が自家用車で
300km程離れたその場所まで弟を迎えに行ったのだ。
その時は、災害ではなかったので
高速道路も普通に通れて事なきを得たようだが。
どこまでも車で行かれる父はもういないし
こういったハプニングに対して危機意識は持っているのか?
母は
「四六時中見張っているわけにはいかないでしょ。」
と驚くほど楽観的だ。
私は嫁に出た「他人」の立場なので
何も意見などできないのだが。
良性で特に問題なしだということだった。
ホッとした。
家に帰り子供たちに報告すると
息子が「ああ良かった!」と飛びついてきた。
ヨカッタヨカッタと抱き合って喜んだ。
心配してくれていたんだと嬉しかった。
そこで、ふと思ったこと。
wish.yotsumeyui.com/Entry/62/
↑の記事で母が上弟のことを
自分より体が大きくなった子を抱きしめるなんて
キモチワルイと言った時、独身で子のいなかった私は
心の中で
「そりゃそうだろうね。」
と思っていた。
でも、自分が当時の母と同じ年齢になった今
あの時の母の発言に違和感を覚えている。
私は、絶対、年はまだティーンエイジだが背丈は私より20cm
大きくなった息子を抱きしめられる。
チューしてやれって言われたらチューだってできるぞ!
病院の先生が抱きしめてやって欲しいと言ったのは
言葉通り抱きしめるというより、気持ちの面で寄り添ってやって
欲しいと言っていたのではないだろうか。
それを「キモチワルイ」と言ってしまった母の気持ち。
やっぱりわからない。
今朝は寒い。気が付いたら来週はもう11月。
このブログを始めた頃も寒かったっけ。
カウンターがいつのまにか3000カウントを越えていた。
いろんな方がこのブログを見ていて下さる。
検索で来て下さる方や、私が他の方のブログに
置いて来たURLから来て下さる方、リンク先から
来て下さる方、ブックマークして下さっている方・・・。
読んでいただきありがとうございます。
拍手からコメント下さる方もいらっしゃって。
お返事ができずすみません。
ここでまとめてお礼を申し上げます。
これからもよろしくお願いします。
* * *
最近いろいろと体調が悪い。
PCのやりすぎか、右の背中から肩、腕にかけて
痛みがある。整形外科にかかり肩に注射を打ってもらい
少し楽になったのだが、肺に何か写っていると言われた。
内科に行って胸部X線を撮ってもらった。異常なしだった。
それからすぐ、健康診断でバリウム飲んだら、こんどは
胃の粘膜に異常があると再検査にひっかかった。
来週胃カメラ飲むことになった。
体調がいまいちで夜熟睡できていないのか
明け方にシュールな悪夢を見て起こされる。
目覚ましが鳴るちょっと前にはっとするので
寝覚めがいいといえばいいのだが
こう毎晩だと疲れる。
ふいに昔の事を思い出して胸の奥が詰まったような
イヤ~~~な感じがする。
ご飯は普通に食べられるし、日常生活は送れているのだが
なんだか苦しい、辛い。
実家から離れて20年近く経つ。
私の中ではもう終わったことだと思っていた実家の家族との関係。
振り返って文章にしてみると、まだ終わっていないのではと
感じるようになった。
どうしたらよいのかと思っても
今更親やきょうだいに何を言っても無駄だと言う気持ちがある。
そして、このような匿名のブログで、家族の事を(親的な表現にすれば
家族の恥を)不特定多数の人達に向けて書いている自分に罪悪感のような
ものを感じている。
家族に関わり合いたくないなんて書いている
私って酷い奴だって思う。
今の私には、私の家族がいて、
それは私がなんとしても守りたい大切なもの。
絶対に守りたい穏やかな生活。
今の私は、毎日ニコニコして暮らしている。
なのに、心の底にはまだ黒いドロドロした気持ちが残っていたんだ。
全部吐き出したい。
でも吐き出したからってどうなるんだと言う
自分の中のもうひとりの自分がいる。
辛い・・・
今朝の新聞に載っていたある記事の中に書いてあったこと。
小学校5年生の女の子が母親と一緒に歯科医院にかかり
X線写真を撮ってもらったところ、奥の乳歯の下に永久歯が
写っていなかった。これはまれにあることで、乳歯がぬけても
永久歯が生えて来ない。乳歯が抜けたら人口の歯をいれる必要が
あると医師から説明を受ける。
以下記事の文章をそのママ抜粋。
”母親は絶句した。”
”一生永久歯が生えない-。
その現実がわかりだすと、母親だけでなく女児も泣きじゃくり始めた。”
ええっ?
あのぉ・・・。実は私も2年程前、娘と一緒にまるっきり同じこと
告知されたんですが・・・。
その時の私と娘の会話。
「その歯が抜けちゃったら、永久歯生えて来ないんだって。
虫歯にならないように大事にしなくちゃね。」
「うん!」
受け取り方の違いにそれこそ
「絶句」してしまった。
人にとって何が幸せで何が不幸なのかって
本当に主観的なものなんだなぁ。
「永久歯が生えて来ない」という事実が
記事中の親子にとっては、泣きじゃくるほどの悲しい告知なのに
私と娘にとっては
「へぇ~、そうなんだ!」という程度のことだった。
高校生の頃、クラスメートに言われたことがある。
「Yちゃん(私と同じ中学出身の子)に聞いたんだ。
Murphyちゃんっていろいろ大変なんだね。
YちゃんがMurphyちゃんのことホントに偉いねって言ってたよ。
私もそう思うよ。」
何?偉いって?私の何がエライの?どこがエライの?
大変だとは思ってたけどエライって何?
大変だねって言われたことはちょっと救われたかもしれないけど
エライって言われたのにはもやもやした。
私はニヘラっと笑うしかなかった。
私はひねくれているんだろう。
友人はねぎらってくれたのだ。
大変な思いをしているであろう私の事を。
素直に「ありがとう」と受け取る心を
あの頃の私は持っていなかったのだ。
どんな言葉がけも受け取り方で
大きく変わってくる。
同じ事実でも、受け取り方で
幸せだったり不幸だったり、嬉しかったり悲しかったりする。
そんな事をふと感じた朝だった。
きょうだい児でブログを検索していたら見つけたある記事。
d.hatena.ne.jp/satomies/20100909/p1#c
「ちぃちゃんにはいろいろ配慮が必要だ。それを見て育っているアンタは『同じように』してもらえると当然思うと思う。わたしもそう思う。でもそれを周囲は『甘い』と言う」。「もう人にどう言われようがかまうもんか、とわたしは思う。ただアンタ自身も『ウチのかーちゃんは甘い』と思っててくれ。うちじゃ『普通のこと』でも、『ヨソんち』では甘いだろ?って思われる基準で動いてることがあることは自覚しておいてくれ。それでもってその『甘さ』がヤバいと思った時に、アンタがわたしに『甘さ』を断れ。人が決めることじゃない、わたしもアンタもそれぞれ自分で決めよう」。
ああ、私が欲しかったのは、こういうことだ、って思った。
胸の奥がキュウッとした。
きょうだい児だった方がコメントをされていて
それを読んでまた共感。
そう、そう、そうなんだ!って。
私もコメントを書いた。
そして、コメントのお返事を読んで
また胸がキュウ~ッとなってしまった。
なんていうか・・・
寒くてガタガタ震えているところに
柔らかくて温かい毛布をふわっと掛けてもらったような感じ。
コメントに貼って下さっていたリンク先の記事
d.hatena.ne.jp/satomies/20070128/p1も読ませて頂いた。
ハッとした。目が覚める思いがした。
母が私に期待したように、私も母に期待していた。
私は母の期待通りにはならなかった。
なれなかったし、ならなかった。
母も私が期待したようにはならなかった。
それだけのことだ。
なんだ、お互い様じゃないの。
母はとっくの昔に私から離れているのに
私が親離れ出来ていなかっただけなのだ。
なんだか妙にさっぱりした気分になった。
いっぱい泣いた後のような。
過去と他人は変えられないけど
未来と自分は変えられる。
私を取りまいているたくさんの
優しいもの
温かなもの
愛おしいものに
感謝して生きていこう。
やりきれない。本当に親御さんや祖父母、残された女の子のきょうだいが
今どんな気持ちでいるのかと思うと、悲しくて胸がつぶれそうになる。
しかし、障害者のいる家庭に限らず、こういった事件とギリギリのところを
歩いている家庭って結構あるのではないだろうか。
掲示板やブログで
家庭内暴力の悩みを打ち明けている人の数の多さを見ると
殺したり殺されたりしないだけで、
表沙汰になっていない人がいったいどれだけいるのだろうと思ってしまう。
自分だって下弟に飛びかかられた時 咄嗟に投げつけた置き物が、
彼の頭に命中し、こめかみの血管を切っていたら・・・。
【23歳の女 知的障害のある弟を 撲殺】
なんてことになっていたかもしれないのだ。
いろんな不運が重なって重なって
起きてしまった事件なのだと思う。
小6の男の子のご冥福を祈ります。
夏休みの間は子ども達がPCを使う時間が長い為
なかなか記事が書けない。
今日は久しぶりに二人とも朝から出かけているので
こうしてPCに向かっている。
夏休み・・・。
自分が夏休みを楽しみにしていたのは
小学校中学年までだったと思う。
高学年から中高生までの私の夏休みは
家にいる時間が長くなる分、
辛いことが増えるだけのものであった。
今、自分の子らが中高生になって思うのは
自分は本当に些細なことで叱られていたということである。
親から暴力を受けた事はないのだが
とにかくよく叱られていた。
例えば
子ども達が朝から部活のある日や出校日などに
時おり口にする言葉
「面倒くさい」
「疲れた~」
「行きたくないなぁ」
等のネガティブワード。
こういった言葉を発せようものなら
私は両親からひどく叱られたものである。
私の両親はこういった言葉を
笑って聞き流すことができなかったようだ。
それに加えて冗談が全く通じない人達だった。
ある時、クラスで流行っていた
「なーんちゃって!」
という言葉を使って
ひどく叱られたことがあった。
今思うと、私の親は怒りの沸点が異様に
低かったのではないかと。
下弟が自閉症と診断され心に余裕がなかったのだろう。
ご近所や親戚といろいろあったのかもしれない。
自分が大人になった今ならそういった事情も察知できるのだが。
たとえそうであったとしても
きょうだい児の子どもに怒りを向けるのは間違っている
と思う。
今の自分は笑いの融点が低く
きっと当時の両親が見たら怒り狂うだろうというようなことで
ケラケラ笑っていると思う。
人生怒って過ごすよりも笑って過ごしたい。
たとえ辛いことがあっても・・・。
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