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高校生になってすぐの頃
私は母と下弟が参加している
知的障害の子ども達と遊ぶサークルの一員として
活動することになった。
近辺のいくつかの大学が合同で作ったサークルで
日曜日に地域の知的障害のある子供たちと遊ぶのだ。
親達は別行動で会合などをしていたらしい。
メンバーは各々担当の子どもを決められて
その子供をしっかりと見ている決まりであった。
私には弟と同じくらいの年の自閉症の男の子を
担当として任された。
多動でパニック起こしまくりの子どもを一日見ていると
夕方にはヘトヘトになった。
母は子どもと離れ別行動しているのに
どうして私はずっと自閉症の子どもの面倒を見て
いるんだろう?と疑問に感じ始めた頃
私は担当の子どもの脱走を許してしまったのだ。
メンバーみんなで必死に学内学外探し回って
幸い無事に見つかったのだが
次の週から私の担当は自分の弟になった。
大学生のお兄さんお姉さん達は
月曜日から土曜日までは普通に生活して
日曜日だけこういった子供たちと遊ぶだけだけど
私は自分が高校で授業を受けている時間以外
ずっと関わらなければいけないのだ。
疲れた。もう嫌だ。
母に日曜日は家事を全部やるから留守番させて
欲しいと頼んでみた。
意外なことに母はあっさりそうすれば?と言った。
* * *
今になって思うが、そのサークルには
母が無理言って入れてもらっていたのかもしれない。
大学生のメンバーの方々も本当は迷惑だったのかも。
参加していた大学生の誰ひとり顔も名前も覚えていないので
どんな風に私のことを見ていたのかさっぱりわからないが。
サークル名で検索してみたら今も活動しているようだ。
今はきょうだいに対するフォローが行われているのだろうか。
以前自分が受験生だった頃の事を書いた。
つくづく思うが、私にとって大学受験は
人生の大きな分岐点だったと思う。
母は私に福祉の勉強をするのなら大学に行かせてやると
言っていた。幸か不幸か県内に福祉大学があったため
そこへ進学して福祉系の職業に就き下弟の面倒を見ろ
というのが母の希望だった。
しかし私は従わなかった。
当時共通一次試験と呼ばれていた今でいうセンター試験を
受け、目指していた国立大学を受験することにしたのだ。
母は激昂した。
そして私に言った。
何のために今まであんたの面倒を見てやったと思っているの?
弟の面倒を見ないのならあんたなんか存在する価値がない!
勝手にしたらいい!
うちにはあんたの為に使うお金は一銭もないからね!
私は深く傷ついた。
しかし
今になって思えば
母が私に暴言を吐いてくれたおかげで
私は障害者のきょうだいを守らなければ
家族を守らなければという呪縛から解放されたのだ。
私はいなくてもいい存在だ。
家族にとって私はいなくてもいい存在なんだ。
優しい言葉で真綿で首を絞めるような事を
されるよりよほど良かったのではないかと思う。
このブログ始めてもうすぐ3年。
たくさんの方に読んでいただき、コメントをいただいて
本当にありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
* * *
実家の家族が年を重ね、過去を振り返るより
現実と向き合わなければならない事が出てきている。
記事にしていない過去ネタ、まだたくさんあるんだけど・・・。
思い出しながら書くのが思いのほかしんどくて
更新のペースがゆっくりになってしまっているので
決着がついていない現在進行形の問題を
書いていこうかどうしようか・・・。
振り返りじゃないからブログのタイトルを変えようかな~とか
迷っている・・・。
* * *
心の中で迷走しつつ、現実世界では元気ハツラツで頑張っております。
父が亡くなった時、私も相続放棄をしている。
夫には事後報告だった。
「相続放棄したから」
「あ、そう。」
で終了。お金に執着のある人だったらここでひと悶着あったんだろうか。
それにしても、思い出すとため息が出る。
父がなくなったあと、片付けや法事などでたびたび実家に行っていたのだが
その日の母は数年前伯父が亡くなった時従兄弟のお嫁さんがどれだけ
強欲だったかをとうとうと話すのである。
ひどいでしょ?と聞くのではぁまぁそうねぇと曖昧な相槌をうったところ
そうよね、あんたはそんなこと言わないわよね、と相続放棄の書類を出し
著名、捺印をするように言ったのだった。
従兄弟の嫁が強欲だとかそんな前置きしなくてもいいのに。
お金にきたない娘だと思われていたのかしら。
「で、いつもらってくれるって?」
母に彼のことを話した時、最初に言われたひとことである。
なによそれ、犬や猫の子じゃないんだからさ~
と心の中で突っ込みながら
「まだそんなことわからないよ・・・。」と答えた。
当時女性はクリスマスケーキなんて言われていた。
24までは飛ぶように売れるけど25過ぎたら売れ残りってことだ。
私はすでに売れ残りの年齢であった。
連休に彼が実家に帰省するたび、母は私に
「見合いしろ!」と言ったり(見合いする相手もいないのに)
「一緒に連れて行って親に紹介してもらえないのなら
遊びで付き合ってるだけでしょ、すぐ別れなさい!」と言った。
私だって結婚して家を出て行きたかった。
しかし、物事には順序やタイミングがある。
彼にはまだ私と結婚する意思はないのだ。
そして私は彼と別れたくないのだ。
それで十分だと思っていた。
配偶者のきょうだいが知的障害を持っていて
困っていることがあるというスレッドを見つけた。
(会員制のサイトなのでリンクを貼り付けられません。)
わかっていて結婚したんじゃないのか、今になって
何言ってるのという正論のレスポンスがいくつかあったが
きょうだいが障害者とかそういうこと以外でも
相手の置かれている状況をすべてわかった上で
結婚している人間などいるものか。
自身の損得だけで行動する人間ばかりだったら
この世は成り立たないだろう。
私の夫は家族の反対にあいながらも私と結婚してくれた。
だから夫はわかっているのかといえば、たぶんわかっていない。
知ってはいるけど、わかっていないと思う。
下の弟は自閉症という障害を持っている。
大声で独り言を言っていて会話が成り立たない。
そういったことを知っているだけ。
彼は下弟がパニックを起こしたところを見たことがない。
もし見ていたら、いくら楽観的な夫でも私と結婚して弟と
親戚になることを選んでくれなかったかもしれない。
* * *
結婚してすぐの頃、飲み会から帰ってきた夫が
「いや~驚いたよ。」と言うので聞いてみると
2次会で行ったスナックで隣り合わせた人が
姓名判断ができると言うのでみんなで紙切れに名前を書いて
その方に姓名判断をしてもらったのだそうだ。
夫は
「あなたは嫁さんのきょうだいの面倒を見ることになるかもしれないね。」
と言われたそうだ。
夫は素直に驚いている様子だったが私は叫びたいような気持になった。
結婚して20年ほど、今のところ夫には直接迷惑はかけていない。
でも、この先どうなるかはわからない。
まだブログの記事にしていないが、件の掲示板で相談されていたのと
似たようなことが数年前にあったのだ。
私は自分と自分の家族を守るのだ。
大切にする者の優先順位を見失ってはならない。
鬼娘、鬼嫁上等だ。
正論で攻めてくる人は何も知らない、何もわかっていない人達だ。
そんな人らの言う事に良心の呵責を感じる事はないのだ。
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